小説

『赤いブラジャー』五十嵐涼(『赤い靴』)

「この………」
「え?なんて?」
 小さくすぼんだ口から出される声はあまりにか細くて聞き取れなかった。すると、お袋はこぶしをぎゅっと握り肩をわなわなと揺らし出した。
「この変態ブラジャ仮面ーーーーめーーーーーー!!!!!!」
「ごぶべぇええええ」
 久々に喰らったお袋の鉄拳は過去最大級で、奥歯が全部持っていかれたかと思った。オレの体はそのまま後ろに倒れてしまった。
「お前なんてもう息子じゃないわ!!!とっとと私の前から失せな!!!この卑猥加齢臭!!!人間モザイク!!!」
「ひぃぃぃ、お、お袋—、勘弁してくれーー」
 ゲシゲシと何度もお袋は足でオレの体を踏みつけてくる。天国で鉄拳だけでなく、足蹴までくらうとは夢にも思っていなかった。
「すいません、天使未満さま!!こいつを私と同じ天国になんて連れて来ないで下さい!!!」
(未満って…あの人は天使未満だったのか )
 息を荒らしながらお袋は女性に訴えかけた。
「それがあなたの願いですか?」
「はい!」
「うーん、困りましたね〜。この方は地獄に落とす訳にもいかないし、かといって願い事を何でも叶えなきゃいけないし……面倒くさいから生き返っておきますか」
 女性が手のひらで扇子を叩いた。すると、オレの手がうっすらと透け、続いて足先も透明になっていくではないか。
「え?え?ちょ、ちょっと待ってくれ!!お袋!!ごめん、オレが悪かった!!親不孝な息子でごめんよ!!」
 だんだんと体が消えて行く中、オレは必死で謝罪の言葉を叫び続けた。すると、お袋はいつもの優しい笑顔を見せ、穏やかな口調でこう言った。
「バカ武史、当分こっちには来るんじゃないよ。それから家族を大切にしておやり。ああ、そうだ!温泉!由美子さんと嬉々ちゃんが私の所為で温泉旅行に行けなくなってしまってしまったから、ちゃんと連れて行ってあげるんだよ」
 子供の時に野球でホームランが打てた時、テストで100点を取った時、初任給で京都へ旅行に連れて行ってあげた時、オレの結婚が決まった時、息子と娘が産まれた時、お袋の笑顔は数えきれない程いつでもオレの傍に居てくれていた。
「お袋、ありがとう」
 最後にお袋は手を振ってくれた。それは、オレが家を出る時に必ずお袋がしてくれた事だった。

1 2 3 4 5 6 7 8 9