小説

『赤いブラジャー』五十嵐涼(『赤い靴』)

「最後にホックを合わせる事によって、勇者の力は解放されるのだ!天馬よりも速く、ゼウスよりも鴻大なる力を!さぁ、今こそ解き放て!!」
 少し前屈みの姿勢を取ると、後ろ手にホックの端と端を掴む。このポージングだけで初恋の時の高揚感とは比べ物にならないエクストリームがオレを襲う。
「おおおおお、いけぇぇぇぇ!!」
 武者震いを起こしつつも、ついにオレはホックの左右を合体させる。
 カチッ
 ホックがかっちりと合わさる音がオレには「天上天下唯我独尊」と聞こえた。
 ほう、と至福のため息を吐き、前方に倒していた体をゆっくりと起こしていく。
(つ、ついに、オレの神格化した姿を見る日が来たのだ!!!)
 鏡に目をやろうとしたちょうどその時、長刀でも貫通したのかと思う程の激痛を伴う視線を背中に感じた。まさかと思い、ゆっくりと振り返る。
「なにやってんだよ、おやじ」
 寝室の扉の前には、高校を卒業したのと同時に女と同棲をすると言って家を出た息子が立っていた。
「あ……」
 こいつはオレの中の家族リストからすっかり抹消されており、そもそも、もう2年以上も帰って来ていなかった奴だ。まさか、こんなタイミングで家に来るとは微塵も思っていなかった。
(まずい!!!まず過ぎる!!!大誤算だ!!)
「母さんから連絡があって父さんの様子がおかしかったから、どうしても見に行って欲しいって言われてさ」
「そ、そうか」
 オレは氷河に突き落とされたかの如く急激に体温が落ちていくのを感じた。
(音信不通だとばかり思っていたが、こいつ妻とは連絡を取っていたのか)
「にしても、様子がおかしい所の騒ぎじゃねーな、これ」
 フンと鼻で笑う様に息子が言ってきた。こいつは昔からオレの言う事は聞かないし、常に人を小馬鹿にした様な態度を取ってくる。我が息子だというのに、オレが最も苦手とする人種だった。
「その姿、母さんに写メ送ってやろうかなー。なんて言うかなぁ母さん」
 ニタっと嫌な笑いを浮かべ、息子はGパンのポケットからスマホを取り出した。今度は武者ではない震えがオレの全身を襲う。
「と、父さんな、じ、実はお前に言っていなかった事があったんだが」
 極度のストレスから思わず声が上擦ってしまった。

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