小説

『月の湖』夏野雨(『竹取物語×白雪姫』)

 「昨日も普段通りで、食堂でお食事をとられて自室に戻られました。でも今日は起きていらっしゃらなくて…それでお部屋に伺ったら、ベッドの中でおやすみになられていたんです。声をかけたときにはもう…お部屋の電気もきちんと消えていたので、眠っている間に亡くなられたのだと思います」施設の人が話をしてくれる間、母は何度も頷いていた。ここのところ腰を痛めていることもあって、なかなか会いに行けなかったことが気になっていたらしい。久々に見た伯父の顔は、白く、とても小さかった。
 個室のベッドの脇には小さな机があって、引出しには一冊のノートが入っていた。ページをめくると、几帳面な字で、葬儀の方法、費用、預貯金の口座、印鑑、その時になったら連絡すべき人の電話番号が書かれていた。伯父はずいぶんしっかりした人だったらしい。だいぶ前に書かれたと思われるその連絡すべき人リストのうちの幾人かは、電話番号が変わって連絡がつかなくなっており、また他の何人かは、既に鬼籍に入っていた。
 慌ただしい日々が過ぎ、ささやかな葬儀のあとで、伯父の荷物が施設から返ってきた。伯父の希望通り、洋服や日用品等を処分してもらった結果、ほんの小さなボストンバックが一つ。おそるおそる開けてみると、夥しい量の見慣れないカードが入っている。
 その一枚をつまんで読み上げる。
「鹿尾ダム」
「土木課だったから」母は笑いを堪えるように言った。伯父は定年まで役所に勤めていた。
「ダムってあのダム?あの…水を堰き止める」カードの裏には、ダムの詳細が書かれていた。所在地、河川名、型式、着工年…エトセトラ、エトセトラ。
「そのダム」
「高遠ダム」次の一枚を取り出して読む。
「和食ダム、土師ダム、小瀬川ダム、利根大関」
「…こんなに?」ボストンバックを持ち上げると、思いの外重い。
 母はついに笑い出した。久々に見る笑顔だった。

 ダムカードとは、ダムを紹介するため、ダムを訪れた人に配布されている小さなカードのことである。ダムとは、治水等のために人工的に作られた構造物である。
 ダムカードで検索すると、そういった文言が並んでいた。ダムカードなるものの存在を初めて知ったが、何にでも愛好家がいるらしい。

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