クレーンやパワーショベル等の重機もなかった平安時代、よくもこんな場所に橋を架けてのけたものだと、高校生になったばかりだった健は、その橋の姿と存在に圧倒された。
ほんの二ヶ月前にはまだ小学生だった妹の康子は、橋そのものよりも、雑炊橋に伝わる恋の伝説の方に瞳を輝かせていたが。
川を挟んで隣り合う二つの村。村の間を流れる梓川は急流で、橋を架けることも渡ることもできない。
ある時、川を挟んでこちら側とあちら側に住む娘と青年が恋に落ちた。しかし、二人は川に阻まれ、触れ合うこともできない。渡そうとして投げた花も、深い谷川に落ち、あっというまに下流に流れていってしまう。
だが、どうしても恋を諦めきれなかった二人は、川の右岸と左岸で、「必ず、この川に橋を架けよう」と誓い合ったのである。
その日から、娘は毎日雑炊だけを食する質素な生活をして畑仕事に励み、橋を架けるための費用を貯め始めた。
青年の方は、いつのまにか村から姿を消し、何年経っても故郷に帰ってこなかった。
降るようにあった縁談をすべて断り、娘は青年の帰りを待ち続ける。
彼女を妻に望む者など一人もいなくなった二十年後、姿を消していた青年は、橋を架ける技術を学んで、故郷の村に帰ってきた。
青年が学んできた技術は、両岸の険しい岩盤に穴を開け、その穴に木材を斜めに差し込み、中空に向かって徐々に伸ばしていくというもの。左右の岩壁から伸びた橋は、やがて中空で出会うのだ。
このやり方であれば、急流に橋脚を立てなくても、両岸を結ぶ橋を架けることができる。『刎橋』と呼ばれる架橋形式である。
長い忍苦の時を経て、「必ず、この川に橋を架けよう」という誓いを、二人はついに実現したのだった。
二人で架けた橋を渡り、娘は青年の許に嫁入りした。
二人が出会って恋に落ちたのは十代半ば。それから二十年。結婚が早かった当時としては、娘は完全に姥桜である。花の盛りを過ぎた花嫁は、それでもどんな花嫁より美しかったという。