小説

『むくいる』ウダ・タマキ(『鶴女房(岩手県)』)

 
 上京してからの俺は小さなライブハウスで歌い続けた。いつも帰り道には「ちょっと、キミ」なんて背後からスカウトの声がかかるんじゃないかって、期待しながら全神経を背中に集中させていた。が、いつになってもその時は訪れやしない。そしてコロナ禍が訪れ、ライブハウスで歌う機会すら失われた。
「俺、SNSとか興味ないんだよね」
 いつだったか、スマホの中の世界に一喜一憂する友人に鼻で笑ってそう言ったっけ。ボブディランも尾崎もその時代にSNSなど存在しなくても若者に支持された。心に響く歌さえあれば良いのだから、俺にもSNSは必要ない。そう信じていた。が、よく考えれば当時にコロナ禍は存在しなかった。彼らがギターをかき鳴らし魂を込めた歌声をマイクにぶつけると、密過ぎるほど密に集まった聴衆は歓喜した。
 俺は……ギターをかき鳴らすどころか夢をかき消されそうになっている……意地なんか張らず、まずは多くの人に俺の歌を知ってもらわなければならなくて……
 よし、SNSで発信してみよう! かくして俺はSNSを始めたという訳である。
 誰もいないスタジオで、小さなスマホのレンズに向けて歌う。始めのうちは虚しさと戸惑いもあったが、アップした動画を観れば、なるほどお手頃価格で仕上げたMVのようだ。これをSNSで発信すると世界中の誰かに届くのならば、下北沢の小さなライブハウスで歌い続けるよりチャンスを掴む可能性は高い。俺は上京したあの頃に似た胸の高鳴りを覚えていた。
 これまでに作りためたオリジナル曲をアップし続けた。画面越しでも俺の魂が伝わりやすいよう全身を大きく動かし、黒を基調とした衣装は原色を取り入れて派手にすることで視覚に訴えた。
 動画を見るたび、ここをもう少しこうした方がいいな、次はこうしてみようなどと、自分で自分をプロデュースするようになった。しかし、自己満足は高まれど反響は皆無に等しい状況が続く。動画の評価である『nice』の反応をくれる人は増えたが、表示される数字が増えても俺の生活には僅かな変化すら起こらない。そもそもniceを得るために俺からアプローチして、そのお返しをくれる人達が大半である。

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