小説

『二年目でも待てない』平大典(『三年目(江戸)』)

「ノブ君」おじいちゃんが僕を睨みます。「いったい、なにが」
「知りませんよ」
 と僕が答えると、急に襖の戸が大きな音を立てて開きました。
 そこに立っていた真っ白い着物を着ている人物を目にして、僕とおじいちゃんは目を丸くしました。
「さ、サチコさん!」
 叫んだのは、おじいちゃんです。そして、サチコはおばあちゃんの名前です。
 真っ白な着物を着ている女性は、おばあちゃんだったのです。
 幽霊、という感じなのでしょう、顔色は青白く、唇の色も真っ黒でした。足元もかすかに透けています。
「ゆぅすけさん!」おばあちゃんは恨めしそうな声を発しました。「約束を破ったな!」
「な、なにを」
「私以外の人とは再婚しないと言っていたじゃないの! その約束を反故にするなんてェ!」おばあちゃんはふと僕に視線を送りました。「こっちに座っているのは! ……なんだ、ノブ君じゃないの! すっかり大きくなっちゃって」
「いえいえ、おばあちゃんもお元気そうで」
 僕は恐る恐る頭を下げます。
「元気じゃないのよ!」おばあちゃんは改めておじいちゃんを睨みつけました。「ねえ、ゆうすけさん! なんで約束を破ったの! あなたにとって私はその程度だったってことなの!」
問い詰められたおじいちゃんは涙を流していましたが、思わぬ反論をしました。
「約束を違えたのは、お前だぁ! お前がぁあ!」
 あまりに情念がこもっている声で、おばあちゃんの幽霊も思わずたじろぎました。
 僕もちょっと引くくらいです。
「な、何を言うの?」おばあちゃんの声が少しやわらぎました。
 おじいちゃんは嗚咽を漏らしながら、力いっぱいテーブルをたたきました。
「だってさ、だってさぁ、お前さんさあ、毎日会いに来るって言ってたじゃん」
「それは……」
「なんでだい? なんで出てこないのぉ」
 桜井さんも娘さんも目が点になっていました。
「だって、あの」おばあちゃんの霊体は恥ずかしそうに顔を下に向けました。「幽霊は化粧が出来ないから」
「へ」
 おばあちゃんの霊体はそれから恥ずかしそうに、両手で顔を隠してしまいました。
 おじいちゃんが、「そんなの構うか!」と叫びましたが、もう姿は消えていました。
 まるで嵐が過ぎ去った後の様でした。
 桜井さんたちはただ唖然としていました。僕も同じです。

 
 翌日のことでした。
 僕は祖母の墓参りを終えたおじいちゃんの部屋を訪れました。
 昨日のことを慰めるためにです。
「おう、ノブ君かい」
 思いのほか元気な声を出したおじいちゃんは机の上に何かを広げて、見つめていました。
 顔色を確認しましたが、予想に反して、血行は良く、むしろいきいきとしています。
「昨日は大変でしたね」
「ああ確かに」

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