「汚えんだよ、おっさんが泣いたってよお。涙は女か子供の特権だって、決まってるんだよ」
覚えとけと言って笑った遠野の顔が、金村は最近嫌で仕方がなかった。
『胸にしみる 空のかがやき
今日も遠くながめ 涙をながす』
金村が事務所でエンディング部分に曲を合わせる作業をしていると、遠野が真っ黒なキャップをかぶった少年のような人を連れてきた。
「新入りだ」と遠野は簡単に紹介した。「オマエと違って、優秀だぞ」
と言う遠野の言葉に、その人はかすかにぺこりと頭を下げただけだった。
遠野は空笑いを大げさな咳で締めくくると、狭い事務所の説明を丁寧に始めた。
キャップのせいで顔がよく見えない新入りを、金村は最初男だと思っていた。案内が済んで、応接用のソファに簡易で こしらえたデスクにその人が腰を下ろす時に、ゆるいシャツの首元から直接胸の膨らみが見えて金村ははっとして目をそらせた。
その人は、金村の目線など気にもとめず、自分の持ってきたノートパソコンを開いてさっそく撮影データを取り込み始めた。
その日から金村は本編撮影から外され、インサート用の風景撮影に回された。現場のアシスタントは彼女の持ち場になった。
”新人賞”という言葉は、名も無き映画人にとってはとてつもなく甘美な響きに感じる。それはエリートコースへの入り口であり、輝かしい未来へのパスポートであり、それなりの収入への許可証だった。
遠野は専門学生時代にドキュメンタリー映画の賞を、当時の最年少で獲得し、未来を約束された。幾人かのパトロンがつき、それは四半世紀ほどたった今でも続いていた。遠野は今ではこの小さい事務所にこもって1年に1本ほど映画を作っては、社会派の乾いた拍手の海で目を細めていた。
江口という名の彼女は、その遠野と同じ賞を獲得したそうだ。専門学校在学中の受賞というのも遠野と同じだ。フィリピン人とのハーフという出自が受賞に影響したかは分からない。ただ、彼女は初めての職場に尊敬する遠野の助監督という場を選び、もうほぼ撮了しているこの映画のクレジットには、金村の名よりも大きく彼女の名前が載るのは確実だろう。
彼女は遠野とは違って不必要な笑顔など作らなかった。常に深めに被ったキャップの奥から冷たい目線を放ち、事務所でたまに会ってもろくに挨拶もしない。それが日増しに強くなっていくのは、彼女の金村への侮りが日々増していくからだろうと金村は解釈していた。
『悲しくて悲しくて とてもやりきれない
この限りないむなしさの 救いはないだろか』
金村は、当然のように編集で落とされた山谷の男性の涙のシーンを思い出していた。
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