小説

『路地』千田義行(『とおりゃんせ(神奈川県小田原市や埼玉県川越市など日本各地)』)

 いつの間にか泣き止んでいた江口は、傍らに置かれたキャップを被り直して立ち上がった。表情は、いつもの冷たいものに戻っていた。
「それ、貸して」
 細く華奢な腕を伸ばして、江口が言った。
 金村は、ニコンSをその手に渡した。
「なにかが写ってるから、プリントされるんだよ」江口が言った言葉の意味が、金村には最初分からなかった。
「その写真、よく見てみな。きっと、ミスショットじゃないから」
そう言うと、江口はカメラの底の蓋を開けて、中のフィルムを一気に引きずり出した。フィルムは感光して使えなくなった。
 空っぽになったカメラを金村に返すと、江口は玄関に向かった。
 金村が「明日も、来る?」と問いかけると、振り向いた江口は「仕事だから」とひと言だけ言って出ていった。

※※

「出来上がったんで、観に来て下さい」
 そう言ってチケットを渡すと、山谷の男性は照れると言いながらも満面の笑みを浮かべた。出来上がった映画は小劇場で1度だけひっそりと上映されることが決まった。監督が直前に逮捕されたにも関わらず上映にこぎ着けられたのは、きっと江口の名声のお陰だった。
 だが、もう金村に劣等感はなかった。ただ出来上がったものを観てもらいたいという気持ちだけだ。
 男性の率直な「ありがとう」という言葉に涙がこぼれそうになって、あわてて外に出た。暗い通路を出ると、また空は晴れ渡っていた。
 携帯が振動して、LINEの着信があることを告げた。
 江口が、ロケに行きたいという。この青い空の下で、どうしても撮りたい物があるのだという。
『あのカメラも持ってきて』
 LINEが連投で、そう告げた。

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