小説

『金の生る木を植えた男』紀野誠(『木を植えた男』)

「やるなら急げよ。そのうち使えなくなるかも知れない」
「どういう意味だ?」
「キャッシュレス決済だよ」
 ああ、と声を上げた。そういえば最近現金を触る機会は少なくなっていた。今は国を挙げてキャッシュレスを促進している真最中だ。
「数年でどうなるとは思わないが将来は分からんぜ。携帯端末なんて一人一台の時代だ。十年後には現金なんて廃れているかもしれない」
 そうなれば宝の持ち腐れ。万札が只の紙になる。人の顔が描いてあるだけの役立たず。収穫しても使いどころがなくなる。
 友人に感謝の言葉を送ると、それから慌てて金策に走った。資産を売却し、貯金を下ろし、会社も辞めた。退職金で高額な肥料、防虫剤、金の種、そして田舎に山を買った。
 購入した山の奥地で土を耕した。なるべく目立たない地形、獣道すら通らない秘境に小さな果樹園を作った。近くの小屋に食糧を運び込み、世間に隠れながら金の種を植えた。最低二メートルは間隔を空け、一粒ずつ丁寧に。肥料はケチらず防虫剤もふんだんに使用した。雨で実が濡れないようビニールシートも覆った。万が一にも見つからないよう高い堀で覆い、監視カメラを設置し巡回もした。台風の季節には特に注意した。シートが破れ、実が暴風に攫われそうになると身を挺して守った。
 金の実は友人の言った通り本当に紙幣へと変化した。肖像も樋口一葉から福沢諭吉に変化した。万札は厚みを帯び、本当に札束へと膨れていった。一年を過ぎた頃には本当に百枚の束となった。
 美しい光景だった。一つの木に百万円の実が十房実っている。資金に限りがあったので今年は十本程しか植えられていないにせよ、それでも合計一億円をぶら下げている果樹園の美しさに眼は眩むばかりであった。
 籠を担いで捥いで回った。果柄を優しく摘みゆっくりと捩じ切る。無理矢理引っ張ると紙幣が破れてしまうので慎重に。一回百万円の仕事だと思いながら時間を掛けて収穫した。
 一億円を回収したら籠は一杯になった。収穫を終えた農家の満足をたっぷり味わい、住み込みの小屋へ戻った。金庫に収穫物を収めつつ、今度のことも考えた。この金を元に更に金の木を植える。雨風のことも考え、ちゃんとした農場にした方がいいかもしれない。人も雇わねばならない。信用出来る人間を探さねばならないが、さてどうしたものか。そうやってあれこれ思案する時間は楽しかった。夢は広がるばかりであった。
 そこで腹が鳴った。そういえば今日は朝食を忘れていたことを思い出した。金庫の中から一束だけ懐に入れ、山を下りることにした。
 近くの町で適当な定食屋に入る。自宅を改装した小料理屋。最近粗末な物ばかり口にしていたので新鮮な物が食べたかった。生魚が恋しくなり刺身定食を頼んだ。外食で値段を気にせず注文したのは人生で初めてだった。
 刺身はとても美味しかった。空腹と大仕事を終えた後の充足感が満足を後押しした。昼間だというのに調子に乗って酒も注文した。
 そうやってしばらく満喫したところ、勘定を求められた。
 懐から札束を取り出す。収穫した札同士は端が糊付けされたようにくっ付いていたが、引くと簡単に抜けた。その一枚を愛おしく眺めてから店主に渡した。
「足りないよ」
 年配の店主は愛想悪く突っ返してきた。

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