昼食を終え、弁当箱をケースにしまい、カバンに収めようしたその時だった。何かがいる。昨日の蜘蛛だ。誠四郎は一瞬ためらったが、このまま蜘蛛を放逐してしまうのはもったいない気がした。誠四郎はカバンの中で、慎重に先ほどのケースから弁当箱を取り出し、替わりに蜘蛛を誘きいれた。
「最近、結崎君、結婚しようって、しつこいのよね」
結崎は少々抜けたところもあるが悪い男ではない。女は誠四郎の腕を枕にしたまま、誠四郎の内股をまさぐった。「でね、あたし、結婚してもこの関係、続けたいと思っているのよね。結崎君、安月給だし」
無神経な女だ。ただ、いくばくかの金で、この若い女を抱けるのであれば悪い提案ではない。誠四郎は女を抱き寄せ、顔を女の唇に近づけた。
インターホンが来客を告げた。
モニター画面にはピザ宅配員の姿が写っている。食事にと三十分前ほどに注文したものだ。女は施錠解除のボタンを押したが、こんな格好では恥ずかしいと、誠四郎に支払いを頼んでベッドに戻りシーツにくるまってしまう。誠四郎はタオルを腰に巻き、財布をとりだした。ドアフォンが鳴る。ドアを開け半身を覗かせると、先ほどの宅配員がピザを抱えて立っていた。
宅配員は一礼し、釣りを渡しドアを閉めた。誠四郎は施錠しようとドアノブに手をかけた。が、意に反してドアノブは反回転しようする。誰かがいる。ドアが開く。誠四郎はドアノブを握ったまま、いきおい通路に身体をもっていかれ、よろめきながら顔を上げた。
「先輩」結崎の姿があった。……なぜだ?なぜお前がいる? それは結崎の言葉でもあり、誠四郎の言葉でもあった。
おそらく、エントランスに宅配員がいて、一緒に入ってきたのだろう。結崎、お前は今日から泊り出張だろ。てめえ、さぼったな。しかしそんなことは本当にどうでもいい。ベッドにはシーツにくるまった裸の女、目の前にその恋人、そして半裸の無防備な自分。待て、話せばわかる……はずもないな。
結崎のこぶしが顔面をとらえ、誠四郎はヒザからくずれ落ちた。
「結崎君、そんなことやめようよ」女の声が聞こえる。土の匂いがする。目を開けると土とカバン。うつぶせになった誠四郎の白い尻を月が照らしている。体は動かない。ロープが両手首、両足首に食い込む。シャベルの音と、背中や後頭部に降りかかる土。埋められる。命乞いをしたいが、粘着テープが口をふさいでいる。さっきの一撃で口の中を切ったのだろう。歯を食いしばるとジャリッと音がした。血と土が混じった味がする。中途半端に砂抜きをしたアサリを食べたあの感触だ。いや妻のつくるアサリの味噌汁は完璧だ。念入りに砂抜きしている。今朝食べた味噌汁を思い出したら腹が痛くなってきた。なんだこんな時でも腹が痛くなるのか。いや窮地だからこそ便意を催すのかもしれない。