小説

『誰』斉藤高谷(『白雪姫』)

 ・あたしは毒林檎を食べて眠っていた。(事実)
 ・林檎の毒は男性の唾液に含まれる成分によって中和される。(事実)
 ・あたしは目覚めた。(事実)
 ・あたしの体内で毒が中和された。(事実に基づく推測)
 ・あたしは男性の唾液を摂取した。(推測)
 ・周囲には七人のしもべしかいない。(事実)
 ・しもべたちは全員男性。(事実)
 ・王子は黙って立ち去るような人物ではない。(主観的事実)
 ・あたしは目覚めた。(事実)
 ・あたしの体内で毒が中和された。(事実に基づく推測)
 ・あたしは男性の唾液を摂取した。(推測)
 ・あたしはしもべたちの唾液を摂取した。(事実に基づく推測)
 あたしは棺の中で頭を抱えた。これは飽くまで事実に基づく推測であり、事実ではない。限りなくそうである確率が高いというだけであって、百パーセントの事実ではない。むしろ一パーセントでも〈そうでない可能性〉があるという点では、〈全然見当違いの妄想〉と同じ類いにあると言っても過言ではないのだ。ないよね?
 そうしてあたしが平静を保とうと躍起になっているのに、しもべたちときたら無神経にも「実は……」と話しを始めた。まるでこれから重大な事実でも語るような調子だった。
「実は、王子様は来ませんでした」
「知ってるわよ! でもそんなことはあり得ない! でもあの人が来ていたはずもない!」
「姫、どうか落ち着いてください」
「落ち着いてるわよ。ただ、状況から導き出される答えの孕んだ矛盾を乗り越えられないだけ」
「たぶん、我々にはその矛盾を解くことが可能です」
 しもべたちの言わんとしていることは聞かずともわかった。あたしは耳を塞いだ。
「アーアー、何も聞こえない。聞きたくない」
「姫を助けるためには仕方なかったのです」
「アーアーアーアー」
「ああしなければ姫は今頃……」
 死んだ方がマシだと思うことは、これまでにも何度もあった。それこそ、両足の指まで使っても数え切れないくらい。けど、死んだ後に火葬して、遺灰を火山の火口に撒いて欲しいと思ったのはこれが初めてだった。とにかく圧倒的な熱を以て体内に蔓延したと思われる菌を駆逐したかった。
「誰」あたしは、耳を塞ぐのを止めて言った。
 沈黙。鳥のさえずりすら聞こえなかった。
「誰? あたしにキスをしたのは?」

1 2 3 4 5