小説

『逃避の行方』小山ラム子(『みにくいアヒルの子』)

 それから薫は地区の同い年の子達と仲良くしようと試みることをあきらめた。それでも小学生の頃の地区行事への参加は半ば強制である。その場所からは逃げられない。だから表面上だけは仲良くし、心だけは逃避していようと薫は笑顔を貼り付ける術を身に着けていた。
 強制されているのは他にもある。それは小学校のクラスもそうであった。一クラス三十人の中には合う人もいれば合わない人もいる。そんなもの全員がそうである。だから薫だけが特別なのではない。薫はそう自分に言い聞かせて努力した。
 グループ以外の子と話していただとか、ちがうグループなのになんで入ろうとしてくるのだとかそういったいざこざに辟易していた薫であったがここでも笑顔は武器になった。このときにはもう相手が何を言ってほしいのかが大体予想できるという術も身に着けていた。それはクラスメートにも教師にも通用した。
 ここでは優等生な態度が求められている、ここではちょっと変わった意見が求められている、ここではちょっとおどけた発言が求められている。その場の空気を敏感に察知できる薫はなんにでも応じることができたしなんにでもなれた。その一方で「このままじゃ誰にもなれない」とつぶやきながら体育座りをする自分の存在を薫はいつも感じているのであった。
 そうやって自分につくっていた殻を破ろうとする人が現れたのは薫が高校のときである。
「薫ってさ、いつも笑ってるようで笑ってないよね」
 放課後の教室には薫と凛花の二人だけだ。担任の先生に頼まれた作業を一人で行っていた薫にクラスメートの凛花が声をかけたのである。
 凛花は薫とはまたちがったタイプの優等生であった。薫が周囲を楽しませるムードメーカーである一方、凛花は前に立って引っ張っていくタイプだ。
 この頃二人は偶に言葉を交わす程度であった。薫からみて凛花は自立した人間に見えており、それは相談されることが多い自分にとって有難いことだった。薫はこの頃、相談事の多さに今度は辟易しておりこれからの自分の振る舞いについてどうしようかと考えていたのである。しかし具体的に何を改善すればいいのかを把握できないでいた。周りの反応に合わせた方が楽であると思ったのに、合わせすぎるとむしろ精神的に参ってしまう。
 その一番の原因に薫は気づかされたのである。そうか、自分はしたくもない笑顔をしていたんだ。それがつらかったんだ、と。薫は自分の表情が意識したものかさえ分からなくなっていたのである。
 作業の手を止めて薫は話した。自分が笑顔でいると周りはどんどん頼ってくる。でも本当はなんでもかんでも相談してほしくない。こっちだって重荷なんだと。
 人前で初めて涙を流した薫に凛花は優しかった。他に誰もいない教室で薫の泣き声と凛花の相槌の声だけが響く。
「これからは何でも言ってね」という凛花の言葉は心地よく薫の胸に響いた。

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