小説

『逃避の行方』小山ラム子(『みにくいアヒルの子』)

 暗い気持ちを抱えたまま凛花と分かれて弓道場へと向かった。手に持っているのは部活の出し物の宣伝ポスターだ。到着する前に部長の後姿を見つけ声をかける。
「おお! すごいね!」
 二学年上の野上先輩は笑顔でポスターを受け取った。
「いやー色々やってもらってありがとね」
「楽しくやってるからいいんです」
 薫は笑顔で応えながらも凛花とのやりとりを思い出し胸が冷えていくのを感じていた。自分が無理して笑顔をつくっているときも、無理していないのに心配されるときもどちらも同じくらい嫌だった。一方でそんなことで悩むなんて弱い奴だ、と自己嫌悪する声も耳にこびりついて離れてくれない。
「薫ちゃん手先器用だもんね」
 顔を上げると野上先輩は笑顔のままだった。自分とは似ても似つかない美しい笑顔だと思った。
「本当助かるよ! ありがとう!」
 パシッと背中を叩かれる。それを合図に薫は突然気が付いたことがあった。野上先輩が自分を頼ってきたときはこういうときだけだ、と。自分がやっていて本当に楽しいと思えるものだけだ。
「楽しくやってるから、いいんです」
 不意に同じ言葉がついてでた。だけどさっきの笑顔はできない。その声は情けないほど震えていた。
「すごいよねーこういうの私は描けないからさ」
 野上先輩はしみじみとポスターを見つめていた。薫の泣きそうな顔に気が付いているはずなのにあえてそれを見ないよう努めているように思えた。
薫は思った。この人にならなんて返されたっていいと。
「さっき友達に無理してない? って聞かれたんです」
 野上先輩がポスターから薫へと目をうつす。
「でもちがうんです。これは楽しいからやってるんです。だから先輩がそう言ってくれるのがすごくうれしいんです」
 周りが求めていることは大概のことならできると思っていた。でもそれは間違っていた。できるけどできないこともある。だって本当の自分は拒否していた。それなのに笑顔を浮かべる自分はどれほどみにくかったであろう。
 それを自覚するたびに薫はその場から心だけを逃避させていた。さっきだってそうだ。凛花から心を遠ざけた。そうやって逃げ続けたところでみにくい自分は変われないのに。
「だって分かるし。薫ちゃんが無理してないってことくらい」
 野上先輩はなんでもないことのように言う。それがどれほど自分の心を軽くしているのかも知らないで。
「でもその声は無理してるなーって思う」

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