小説

『ずおん』ノリ・ケンゾウ(『雀こ』太宰治)

 マロサマが来てからというもの、児童たちの保護者からオサムのクラスに対するクレームが頻繁に起こるようになってしまっているようで、主任の先生からオサムは注意を受けた。保護者が言うことには、児童たちは家に帰ってきても、どこか浮ついていて勉強はまったくせずで、なんとかして勉強させてみても集中力に欠けているように見えたり、食事中にも席を立ってしまったりと、落着きがないことが多くなったというのだ。オサムは、児童が集中力に欠けるのも食事中に席を立つのも親のしつけがなってないだけだろうと思って反論するが、だけども君は児童たちが宿題をしていなくても授業中に遊んでいてもまったく注意しないそうじゃないか、と言われてしまって、それにはなんの反論もできないので閉口してしまう。たしかにそれはそうだ、とオサムは思った。だからといってすべてを先生のせいにしようとするなんて、これが所謂モンスターペアレントと呼ばれる保護者か、と面を食らった思いだったが、それがクラスの児童の保護者たち全員が全員そのようなクレームというか不満をオサムに持っているということなので驚いた。さすがに全員というのは主任の大袈裟なのだろうとは思ったが、教頭や校長までオサムを呼び出して注意を与えるものだから、あながち嘘ではないのかもしれない。それから主任に、なにやら怪しい遊びを子供たちがしているんじゃないか、という不安の声が保護者から上がっている、なんてことまで言われ、何か心当たりはないかと質問されるので、怪しい遊びと言われてオサムが思いつくことといえば、昼休みに児童たちがつらなって外へ出て行くずおんのことなので、先生、それはずおんのことですかね、答えてみれば、すおんとはなんだね、とまったく主任は知らないようで、私も分からないんですけども、とオサムが言うと、何ぼうっとしてやってるんだね、ちゃんと調べなさいよ、とオサムは叱責され、これ以上何か問題が起きればね、君の処遇も考えないとならないよ、とまで言われたので、仕方がないのでオサムは児童たちの様子を注視してみることにした。といっても、口ではそう思っているようでも、オサムの正直な気持ちとしては、処遇がなんだというのはどうでもよかったので、熱心に調べたわけではなかった。
 ではその、ずおん、が一体なんなのか。オサムが児童たちの行動を注視するようになってから分かったことは、ずおん、というのはどうやらマロサマが話すときに語尾に使っている言葉であるらしい。しかしたんに児童たちがマロサマの語尾を真似しているだけなのか、と言われるとそうではないように思える。児童たちの間だけで通用するずおんの用法があるように見える。けれど何度も児童にずおんのことを尋ねてみても、まったく要領は得られずじまいで、児童たちの言ったことをそのまま言うとすれば、先生もずおんしたらええじゃろ、とか、ずおんせんとマロサマがかわいそうじゃけえ、だとかいうばかりで、埒が明かないので、オサムはある日とうとう昼休みのマロサマの会合についていくことに決めた。

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