いつもの街のいつものカフェなのに、その日も店にはタピオカラテしかなくて。あのふっといストローにタピオカを渋滞させながらまた飲むの? って嫌気がさしていたのに、タピオカ以外のラテはおいしいよねって思いながら飲んだ。
つまらなさそうに、雑誌<ミーニングレス>を読む。
グラビアには7本の束が淡紫色がグラデーションで描かれていて。その下にはキャプションのように、詩のようなものが綴られている。詩は英語で、とても気持ちよく綴られている手書きの文字だ。
文字のレイアウトもアシメトリーなのに心地よく絵のまわりを彩り、すこし気をよくしていたら、『壊れたもの、壊れていないもの』というタイトルがみえた。
そのタイトル自体がなにかを暗示しているみたいで、胸がちりちり痛む。
<あなたに言わなくちゃいけないことがあるわ>っていうことばからはじまる。
訳されたことばを読んですこしたじろぐ。
志麻はこうやって誰かになにかを言われる時、それが詩のことばであっても、身構えてしまう。
あなたという宛先は、いつもわたしとは限らないはずなのに。誰かに叱られていたちいさな頃のすこし影にふちどられた記憶がよみがえるからかもしれない。ちいさな頃。それは遠い昔すぎて辿れないはずなのに、叱られた記憶だけは残っている。だから今は誰にもなにも言われたくないのだ。そんな窘められるようなやさしさも微塵もない言葉はいらない。だって声を失ったのだから。
声を失うことは、とても簡単だった。つまり極度のマックス級のストレスを受け続ければそういうことになるのだ。
カタストロフィっていえばそうだけれど。
この間のちいさな戦争が終わった後、運がいいのか悪いのかサバイバーになってしまったことに気づいた時はもう声を失っていた。直前まで生きていた人は、読んで字の如くサイバー空間へと解き放たれた。だからときどき触るスマフォやピーシーの中にあの人もこの人もいるんだと思いながら、モニターをみたりする。追悼の気持ちはない。いつかじぶんもすいこまれてしまうであろう場所だから。どうでもよい感じでいえば、<待っててね>って感じなのだ。志麻は声をなくしたけれど。声をなくさなかったひとは、口笛吹きの人、<ホイッスラー>になっていた。この店は、ホイッスラーの人たちがたくさん通ってくるカフェだった。
ここに来る前も雑踏でひとり口笛を、ふいているひとがいた。スーツの男の人で、ちょっとすれ違う時、女の人のつける<ZEN>みたいな香りがした。
なんのメロディだったかはわからなかったけれど、仕事帰りのひとはたいてい疲れている風情だし足取りも重かったり、ちょっといらいらしていそうだったりするのだけれど。その人は、どこかうきうきしていた。
いいことがありますように。