たいていのホイッスラーは、耳が拾えるメロディではなくてふしぎな音の列を並べたような音階の口笛を吹く。あのちいさな戦争から、そういう人が増えた。なんだろうっておもっていたら、それはどうも言葉らしくって。
口笛語のわかる教授がいる。コーカサス北西部のウビヒ語の研究者だったその人が口笛辞典を編纂したりして、すこしずつホイッスラーの奏でる言語の訳者が増えつつあった。
ホイッスラーとすれ違うとき、志麻はどきどきする。今、すこしだけ好きなホイッスラーがいるから。いっつもタピオカラテばかりしか提供できないあのカフェに通っているのは、彼がそこの常連だからだ。
その人は、あのちいさな戦争なんてまるでなかったかのように、涼しい顔をしていつもサンダルを履いていて風通しのよい足元で歩いている人だった。近づきたいのだけれど、志麻はホイッスラーではないし。それにホイッスラー語がわからないから、コンタクトのとりようがなかった。
つまらなさそうに暫くページをめくっていたら、志麻の耳にサンダルを引きずる音がした。あの人だった。いつものラテと<スカイドーナツ>を頼んで壁際の席に座る。志麻とは真反対の位置。今日は声をかけてみたい。どうやって? 実は昨日の夜からたくさんの白い紙を用意してあった。
その人は隣に座っているおじさんと互いに口笛で言葉を交わしていた。何を言っているのかわからないけれど、時折視線がこっちに放たれる。どういう視線だろうってすごく気になる。人生は短いのだから、ためらったもの負けよって、あのちいさな戦争で居なくなる前に唯一の肉親だった妹が言った言葉を思い出す。遺言は妹の密らしくって。志麻はやってみることにした。
<スカイドーナツってほんとうに空色しているんですね>
みたまま。バカだなって思いつつ、きっかけはなんでもいいって思って白い紙に書いて、飛行機の形にして飛ばした。墜落することも予期して、いくつもの飛行機予備軍の白い紙を持参していた。飛距離を伸ばすため翼をちょっと逸らして投げてみた。これが記念すべき1号機。きっかけはひょんでいい。これも密の語録のひとつだった。ひょんから志麻はその人とカフェでの距離が縮まって行った。っていうのはちょっとはしょりすぎで。つまり彼は言葉を書くことすべてを忘れてしまっていたので、読むことしかできなくて。だからふたりの間にインタープリターの人が入ってくれた。2号機は<ぼく、この間、しんきろうをみたよ。それでね、しんきろうをさわったよ、ゆびで>にした。作り話ではない。この期に及んで作り話などにかまけている場合じゃないので、リアルな会話を綴った。このカフェに来る前に通りすがりに聞いた小学校の低学年生らしき男の子達の会話だった。そう、あのちいさな戦争でなぜか子供は傷つかなかったから、言葉を喋れるし口笛も吹かない。吹かないというか吹けなくなったという噂だった。その人は、ゆっくりと紙飛行機をひろげるとあきらかに眼尻が下がって、え? って顔でカモンみたいな指の仕草をした。