ええい煩わしい。おれはナイフでマスターの首をはねた。マスターの純白の首が床をころがる。客たちはみな叫び声をあげながら店の外へ逃げていった。からっぽになった店にひとりとりのこされて、おれはなんだかこぶりではあるがそれなりに小洒落た水槽をひとりじめするちょんまげの金魚のような気分になった。おれは静かな店内をすいすい泳いでカウンターの奥にまわりこみ、冷蔵庫の扉をあけた。冷蔵庫のなかで、ちび姫はベッドに横になっていた。
「眠っているの?」とおれは声をかけた。
すると、ちび姫はむくりと体をおこしてこちらに顔をむけた。
「いや、おきとるで。なに?」と彼女はいった。
「一説にはきみのお父さんとも愛人ともいわれているマスターをたったいまおれは殺したよ。きみの卵がほしいといったら嫌がったから、ついね」とおれはいった。
「なるほど。あんたは私の卵がほしいのか」とちび姫はいった。
「ほしいほしいほしい、ほしいに決まってんだろー!」といっておれは手をのばしちび姫をつかまえてオーバースローでふりかぶり彼女を壁に投げつけた。
「ちくしょう好きにするがいいさー!」といいながらちび姫は壁をつきやぶって夜空のかなたへとんでいった。
おれは冷蔵庫にむきなおり血眼になってちび姫の卵をさがした。すぐに見つかった。レタスのうしろにころがっていた。おれは卵を家にもちかえって台所で目玉焼きをつくった。いい出来だった。
「ほかならぬ壁よ。見てくれよこれを。どうだい、うまそうな目玉焼きだろう?」とおれは台所の壁にいった。
台所の壁は鼻をならして、
「でもずいぶんとちいさいね、それ」といった。
「しかたがないさ。ちび姫の卵でつくった目玉焼きなんだもの」とおれはいいわけをした。
「それで、その目玉焼きでなにをするつもりなんだい?」と台所の壁がいった。
おれは笑いをこらえられなかった。
「ふふふふふふふふふふふふふ。こうするのさ」そういって、おれは出来たてほやほやで熱々の目玉焼きをさい箸でつまみあげて台所の壁にちかづけた。「ほらほら、熱いぞう。熱いぞう」といって鼻先でゆらしてやると、台所の壁はふるえだした。
「はわわわわ。やめてくれえ! 大火傷しちゃうよお!」そういって、台所の壁は体をまわりの壁からばりっとひきはがし、わあああああああといいながらダッシュで家をとびだしていった。
おれは追いかけた。
「ほーら熱々の目玉焼きだぞう! 火傷しちゃうぞう!」
「やめてくれー! なんでこんなことするんだよお! やめてくれー!」
台所の壁は夜道を逃げつづけ、おれは追いかけつづけた。追いかけっこは三十分ほどつづいた。やがておれたちはユミ子をひき殺した犯人が勾留されている拘置所の前までやってきた。ちょうど、犯人の男がいったん拘束をとかれて門から出てきたところだった。おれは目玉焼きをさい箸から素手にもちかえて「おりゃあああああ!」と前方へ投げつけた。目玉焼きは前を走る台所の壁の背中に直撃した。台所の壁は目玉焼きをくらって弾かれたようにびゅんと再加速した。