小説

『ポンポコポコポコカグヤヒコ』義若ユウスケ(『竹取物語』)

 ふりむくと、さきほどの上裸ジーンズ姿のムキムキマッチョな若者が不敵な笑みを口もとにうかべて立っていた。おれは直感で、こいつがトルネード・ジョンだと理解した。だから、
「さては貴様がトルネード・ジョンだなあああああ?」といいながらおれは彼を殴りつけた。
「えっ、ちがっ」といって上裸ジーンズ姿のムキムキマッチョな若者はゴムボールのようにビューンととんでいき、背後の歩行者の群れにぶつかった。
「うわああああああああ!」と誰かが叫び声をあげた。「こいつ、死んでやがるうううううううううう!」
 どうやらおれは上裸ジーンズ姿のムキムキマッチョな若者を殺してしまったようだった。おれは人ごみに近づいていってたずねた。
「あの、こいつってトルネード・ジョンですよね?」
 するとだれもが、ちがう、これはひょうきん者のケンタだ、底抜けに明るくて親切な、心斎橋一のマッチョマンさ、とこたえた。おれは膝から崩れ落ちた。体から血の気がみるみるひいていくのがわかった。おれは罪の意識にふるえた。さながらミツバチのように小刻みにブーンとふるえた。すぐさまとても美人なキャリアウーマンがそこを通りかかってミツバチのようにキュートにふるえているおれを見て母性本能をくすぐられ、おれをヒモにしようとおもったのはいうまでもない。
「さあどいたどいたどいたどいた」といって美人キャリアウーマンはざわつく人だかりを連続回転キックで蹴散らしておれのまえまでやって来た。美人キャリアウーマンはうなだれるおれのあごをくいと上にもちあげて、いった。「かわいいね。ついておいで。わたしの家で面倒みてあげる」
 美人キャリアウーマンの家は梅田にあった。五十階建ての高級マンションの最上階の部屋だった。おれは彼女の家で暮らしはじめた。豪華な食事と濃厚なセックスに満ちた生活が幕をあけた。けっきょく、おれはトルネード・ジョンとは戦わなかったし、あんなに待ち焦がれていたニュースキャスターとの約束もすっぽかした。でも、それがいったいなんだというんだ。人生なんてそんなもんさ。
 ヒモ生活は快適だった。日々はゆるやかに過ぎていった。美人キャリアウーマンは毎日ばりばり働き、おれは毎日寝て過ごす。夜には二人でとっくみあうようなセックスをする。美人キャリアウーマンの名前はモモ子といった。三十年前に桃から生まれたのだそうだ。ほんとかどうか、そんなことは知らない。
ある夜、おれたちはふたりで琵琶湖に行った。
「滋賀はわたしの故郷なの。夜の琵琶湖はとても綺麗よ。ねえ、連れていってほしいでしょ」とモモ子がとつぜんいいだしたのだ。
 車で行った。風がなくて、水は静かだった。湖は鏡のようだった。おれとモモ子はほとりによりそって座った。宝石をばらまいたように、色とりどりの星々が水面にうつりこんで、おれたちの目の前でまたたいていた。頭上には月がいた。おれたちはずいぶんと長い間、月の光に照らされながら、だまって湖をながめていた。やがて、沈黙にしびれをきらしたように、
「おふたりさん、心中かい?」と月が話しかけてきた。トロンボーンのような声だった。
「そんなとこさ」とおれはこたえた。
「そうか。それじゃあ、冥途の土産にひとつ、お話をしてあげる」そういって、月は話はじめた。遠い異国のちいさな島の話を。

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