「お待たせしました」と中年男は申し訳なさそうに言った。「修学旅行に途中参加される方ですね」
「そうです。ここで皆が来るのを待つように言われています」とぼくは答えた。
「よくこのホテルに一人で来ることができましたね」と中年男は言った。「駅からの道が複雑なので大抵の人が車で送ってもらうんですよ」
「どうしてこんな場所でホテルを営業しているんですか?」
駅ビルを少し離れると、道は迷路のように入り組んでいった。老婆からもらった完璧なまでの案内図がなかったら、ホテルに着けなかったはずだ。
中年男は接客用にやっていますという感じでニッコリと口角を上げた。
「ここは昔要人が秘密裏に会食する建物があった場所なんです」
話し方が丁寧なのに演技じみた中年男の表情を見て、ぼくは急に背筋が冷たくなるような恐ろしさを感じた。
「このホテルに修学旅行のバスが来てあなたを乗せる予定です」と言って中年男は両手を前で組んだ。
「何時頃に着きますか?」
「もう予定時刻を過ぎています」と中年男は言った。でもそのバスがどれだけ遅れても心配をしないような感じがした。
「道が混んでいるのかもしれません。あちらのソファーでお待ち下さい」
ぼくは頷いて隅にあるソファーに腰を下ろした。
中年男は元にいた奥の部屋へ行ってしまった。ぼくは誰もいないフロントをぼんやりと眺めてみた。いくら給料を支給されても、将来あの場所で接客の仕事をするのはできない気がした。
やがて中年男は印刷物を手にして戻ってきた。ノートやペンケースも持っている。何のためにそんな物を用意したのかわからなかった。
「どうぞ」と中年男は穏やかに言って、持ってきた物を全てぼくに渡した。
「あなたの物として使って下さい」
「どういうことですか?」と尋ねてぼくは印刷物をめくってみた。
「あなたには修学旅行を休んでもらうことになりました」と中年男は言った。
「何でですか?体調が治ったんでここまで来たんですよ」
と言ってぼくは中年男を見た。その顔つきからは何の感情も読み取れなかった。「早朝から鉄道で何時間もかけて着いたんです。皆の乗ったバスだってもうすぐ来るんですよね」
「本当はバスは来ません。私どもはあなただけを待っていました。何年も時間を費やしてこの環境を用意したのです。あなたは皆と過ごせません」
「バスが来ないだって?」とぼくは即座に言った。「ここは学校の指定したホテルですよね?」
中年男は苦笑いをしてから、遠くを見る目つきをしたまま腕組みをした。こめかみには青筋ができている。
「実は学校とは無関係なホテルです」と中年男は当然のように言った。