小説

『河童の国』佐々木卓也(『河童』)

「全くないわけでもない。成功する可能性は数パーセントしかないがね。でもそれをやるのは危険過ぎるんだよ」
「どんなことですか?」とぼくは尋ねた。だが河童は口を閉ざしそれには一切答えなかった。河童には河童の事情があるのだろう。
「そう言えば食事を届けてくれた女性は何者なんですか?」
 河童は顔を傾け考え込んだ。「うーむ、ワシはそんな女知らんぞ」
「綺麗な人です。フランス語を話していました」
「何だって!ワシは若い男に頼んだんだ。じゃあ、その女はクローゼットの中へ入って行かなかったかい?きっと学生狩りの魔女に違いない」
「クローゼットの中へ入って消えてしまいましたよ。学生狩りの魔女ってどんな人なんですか?」
「人じゃないよ。高校の放課後に、ほとんど毎日遊んでいる学生を黄泉の国に連れ去る死神だ」
 ぼくは目まいがしてきた。
 次の日の夜7時過ぎ、音もなくクローゼットから学生狩りの魔女が現れた。
 彼女は何も言わずトレーに載せた夕食をベッドの上へ置いた。今夜料理はフライドポテトとトマトサラダとマトンカレー。それにガーリックナン、象の絵柄のカップに入ったチャイ。湯気が出ていて見るからに温かそうだった。
 ぼくは魔女の言うことを字幕で理解するため、リモコンでテレビをつけた。
―食べ終わったら、血液検査をしましょう―
 魔女はゆっくりと注射器を机に置いた。女医がするように、慣れた手つきでその針を消毒している。
「あなたはどこから来たの?」とぼくは尋ねた。
―君の行ったことのない所からよ―
 彼女の声は空から降りて来る感じがした。
「河童さんはあなたが、ぼくみたいな生活の学生を黄泉の国に連れ去るって言ったんだ。つまりそれって・・・」
 魔女は後ろで一つに束ねていた髪をほどき、ポットに入れた水を沸騰させた。ぼくは答えを待った。部屋は沈黙で時が止まったみたいになっている。
―河童は妄想を抱いているの。長い時間監禁された結果よ。君だってそうなるまでここに居たくないでしょ―
「もちろんだ」
―それなら私のことを知ろうとしないで、もっと英語文章の暗記に専念しなさい―
「だけど」と言ってぼくは食い下がった。
「更に英語文章の暗記をして全文覚えても面白くない。それよりもあなたのことが気になるんだ。突然現れたと思ったらクローゼットの中へ入って消えてしまうし」
―私にも時間の制約があるのよ―
 ぼくは今どんな世界に居るのだろう?河童や魔女がこの世で生きているはずはない。
―夕食を取れば私のことも気にならなくなるわ―

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