小説

『河童の国』佐々木卓也(『河童』)

 ぼくはリヨン駅までの行き方を知るために、マルソー大通りを歩き適当な店を探した。緑色の十字型マークの看板が出ている店に入ると薬局だった。店主の禿げ頭のおじさんがカウンターで白衣を着て立っている。ぼくはおじさんに近づき英語でリヨン駅までの行き方を質問した。おじさんも英語で地図を使いながら、親切に地下鉄で行く方法を説明してくれた。
 その直後に建物が爆破するような轟音がして、店の入り口から角刈りの大男が侵入して来た。背丈が2メートルくらいあるように見える。プロレスラーみたいにぶ厚い胸板に、丸太程もある腕をしていた。大男の血走った目を見て、ぼくのことを捕まえようとしていることがわかった。
「お前どうしてここに居るんだ。英語文章の暗記は完璧になったのか?」
 と言って大男は怒鳴り迫ってきた。すぐに捕まってしまい、大男の巨大な腕で首を絞められ気絶しかけた後夢から目覚めた。
 ぼくは皇居近くのベンチに横たわっていた。朝の陽ざしが芝生を照らし、雀のさえずりが聞こえる。地下鉄を乗り継ぎ家へ帰ると、帰宅を待っていた母親が優しく玄関で迎え入れてくれた。
 3日後実の兄のように親しかった従兄が、香川県で自動車事故に遭い突然他界してしまった。学校から休みをもらい都内で通夜に出た後、ぼくは家族の反対を無視して高松市の事故現場を訪れた。
 夜行列車やバスを乗り継ぎ朝になってから、ぼくはその地に供え物の花を置いた。それから遠くに小さく見える港まで歩き、テラスのあるレストランに入った。海を横切るフェリーを眺めていると、自分の一部分は喪失してしまったように感じた。
 ウェイターが注文を取りに来た時、ぼくはフェリーについて尋ねた。
「あれに乗るとどの県まで行けますか?」
「えっ、県ってなんですか?」
「愛媛県とか広島県の県ですよ」
「ここには県なんてありません。だって河童の国なんですから」
 と言ってその男はテラスから海の方へ歩き出して行った。でも背中の膨らんだ後ろ姿は、人ではない存在が水を求めて離れて行くように見えた。

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