小説

『みせもの』ひろくん(『鶴の恩返し』)

 抗癌剤を投与している直後の約一週間は、ご飯、特に肉や魚といった動物性の食べ物が極端に受け付けなくなる。投与前はあれほど食べられた物なのに、人間が好むはずの食材がもはや見るのも嫌になる。それは珠子にとって、人から別の生き物になるような、不思議で切ない浮遊感を孕んでいた。
 ほうれん草の胡麻和え。かぼちゃの煮付け。豆腐の味噌汁に鯖の塩焼き。健康的な献立に最初は喜んでいたものの、珠子も投与した途端、食欲が失せた。
 売店へ行き、週刊誌を二冊買い、七階の呼吸器病棟へ戻ろうとした時、珠子の乗ったエレベータにマスク姿の患者が一人走って乗って来た。
 縦縞の、皺ひとつない清潔なパジャマを着た中年女性は、珠子を一瞥するや、二度見した。
 マスク姿の珠子を見て、
「あなた、風邪?」
 と聞いてくる。珠子は、
「ええまあ」
 と、誤魔化した。女性は片足を少し浮かせ、バランスを取り始めた。少年のような細い足だった。
 女性は、スリッパのかかとブラブラさせながら、
「ごめんね…余計な事聞いちゃって」
 と言った。そして、階数を示すランプを見上げると、おほん!と咳払いをひとつした。
「私、肺癌なの。ステージⅢ。どうしたらいいと思う?娘もまだ幼いの。孫の顔なんてもう見れないの。」
 珠子は困った。女性が珠子の方をじっと見つめてきたからだ。こういう時は、憐れんだらいいのだろうか。笑い飛ばして元気づけたらいいのかわからず、珠子は愛想笑いを浮かべていた。なんせ自分は相手よりも重いステージⅣなのだ。正直にカミングアウトした途端、気まずくなるに違いない。相手の心の奥に、自分より上がいる的な安堵感を与えるのも癪だった。
 癌を人に打ち明けた時のリアクション。これは珠子が、父がいない事を告げた時のそれと似ていた。
 父は、珠子と母を置いてなくなった。肝臓癌だった。まだ幼い珠子はただただ泣き喚いた。学生時代から、珠子が母子家庭だと打ち明ける度、教師は皆、気まずい顔をした。父がいないという事実は、どうやら不幸のジャンルに分類されるらしい。珠子は不幸を売り物にしては終わりだと思っていたが、母の幸子はとうの昔に終わっていた。癌を免罪符代わりにカミングアウトする母の姿が、珠子には無様に見えた。(私、癌なんだから許してよ。そんな言い方、まるで戦っている癌に負けを認める事になんない?特別扱いして貰えるからって、癌はクーポン券と違うんだよ)と内心思った。

 珠子は、エレベータで会っただけの見ず知らずの女性に、事実を隠し通そうと決意した。女性の口ぶりから見て取るに、その話は何度も話すうちに推敲され、まるで小話のように無駄が無い。
「人というのは二度死ぬの。一度目は、肉体の死。二度目は、皆の記憶から忘れ去られる、存在の死。」
 どこかで聞いた事のあるような名台詞だ。女性は言い終えると、珠子の肩に手を置いた。珠子は、この厚かましい女に負けたくないと思った。この論理で言うなら、長生きするにはおそらく、一度目の死よりも、二度目とかいう、存在の死を遠ざけるしかないだろう。

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