小説

『みせもの』ひろくん(『鶴の恩返し』)

 巡業初日。見世物小屋と呼ばれる仮設テントは五〇人も入れば恩の字だった。昔に比べて退色はしているものの、それがむしろ味となっている。
 演者たちの楽屋はその横に併設されている。しかし、楽屋と言ってもそれは名ばかりで、客席と暖簾一枚で仕切られたようなジョイント式のテントだった。
 珠子は隅で、鎮痛薬を飲んだ。そして、誰にも見つからないようにコルセットを締め上げた。
 真っ赤な襦袢は江田さんが新しく用意してくれた。
 鏡の中には、白粉を塗った自分の姿があった。真っ赤な紅と、真っ黒な目元、お節っちゃんのやっていた、お歯黒は遠慮した。

 遠くで口上が聞こえる。昔と同じ台詞が懐かしい。
 太鼓が鳴ると楽屋の中に、アマゾネスの格好をした若い女性が戻って来た。彼女の芸は蠟燭を大量に束ねて火をつけ、溶けた蝋を口で受け止めては火に吹きつけて炎上させる。一時期ヘビメタバンドがやっていた芸だ。
 珠子が蛇の入った新聞紙を懐に入れて慎重に立ち上がる。この蛇は縞蛇で、毒性は無く、滋養強壮にいいらしい。
 会場は満員御礼だった。客席の前方には、小学生たちがたくさんいて、珠子はそこに、かつての自分を見た。
 蛇を取り出すや、ひょいとそれをつまみ上げ、ゆっくりと立ち上がり、お客さんに見せに行く。蛇の「首根っこ」を掴んで、子供たちに触らせて回る。途中、足がよろけた。それを見て子供が悲鳴を上げる。蛇がかかって来たように見えたらしい。珠子は胸をなでおろす。
 足の痺れは前にも増して大きくなり、感覚が無くなっている。蛇を一通り触らせ終えると、珠子は舞台の中心に正座した。
 蛇を両手に持ち、腹から頭の方へと向かって舐め上げた。
 妖艶ともいうべき仕草に大人は失笑し、中には泣き叫ぶ子もいた。
 珠子は両手を広げ、蛇の頭と腹を引っ張って掲げるや否や、会場に緊張感が生まれた。
 珠子はにこやかに笑みを浮かべ、子供たちに目線を合わせて行った。そして一つ、大きく深呼吸をした。
 珠子が蛇に噛みつくと、蛇は体を蠢かせて抵抗した。
 珠子の舌の上で、蛇腹が煽動しているのが分かる。目を瞑り、徐々に顎に力を加えていく。
 蛇を食べる上で、江田さんに教わった事、それは咬まれない為の持つ位置と齧る位置、残るは「気合い」だけ。
「かわいそう」
と、子供や大人が口を揃えて言うのが聞こえる。一瞬、珠子は自分に向けられた言葉だと思い冷汗が出た。しかし、すぐさま蛇に向けられた言葉だと気付いてホッとする。
 珠子は瞬時に口角を上げた。唇を開き、噛んでいる蛇を見せると、子供たちは息を飲んだ。顔に手を覆う者は、覆った手の隙間から確実に凝視しているのがこちらからだと確認出来る。
 いいぞ!やれ!と囃し立てて笑う大人もいる。
 そろそろ蛇を食いちぎらねば!
 そう思って噛みしめた瞬間、蛇が思いのほか硬い事に気付いた。

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