小説

『みせもの』ひろくん(『鶴の恩返し』)

 白鳥珠子は入学早々「白玉団子」とあだ名を付けられた。秒殺だった。珠子のその記録は樹立され、誰も破った者はいない。中学生の珠子は、休み時間が来ると机の上によく顔を伏せた。
「おーい白玉団子―」
 男子の声がすると、珠子は声の無い笑顔で頭を上げた。
「ねえ白玉団子ちゃん」
 女子の声にも、珠子は笑顔だった。
 珠子がこの呼びかけ自体が攻撃であると気付いたのは、初めて呼びかけられた時。
 珠子は一度、無視をした。ずっと、動かずに腕に顔を伏せていた。二度、三度と、その呼びかけに答える事をしないでいると、猛烈な勢いで、ポニーテールを引っつかまれ、強引に顔をあげられた。珠子の体が、大きくのけぞった。
 恐怖におののく珠子の表情を見て、満足気な顔をしたのは、違うクラスの全く印象の無い男子だった。会話した事も全くない。あだ名が付くと、いじめていいキャラのレッテルを貼られ、知らない奴まで近づいてくる。珠子はそんな集団心理が怖かった。

 珠子の母、幸子は、五〇歳目前に乳癌になった。ある日、何となく自分でしこりを見つけ、病院に行った。全部の摘出には及ばないという医師の診断に従い、右の乳房だけを切除、放射線治療をしたものの、三年後、母の乳がんは再発した。珠子はその時、小学校に入りたてだった。
 肺炎を患い、息も絶え絶えに言った幸子の最期の言葉は、
「悲しい時には笑いなさい」
だった。
 それは、どうか落ち込まないで、悲しくても元気を出しなさいという意味を含んだものだったが、幸子は幼いわが子にわかりやすく縮めたつもりだった。当時六歳の珠子には、その真意まで理解出来ず、ただ単に、作り笑いをすればいいのだ、と、鵜呑みにするのがやっとだった。

 髪を引っ張られたら、笑顔。
 髪を引っ張られたら、笑顔。
 呪文のように、珠子は繰り返す。
 小・中・高と、珠子の表情は、悲しさに比例して笑顔になるように組み込まれた。瞬きのように、一瞬で口角が上がるようになった。

 足が痺れ始めたのは、珠子が三〇歳を迎えて一週間の頃。長時間、部屋で雑誌を読みながら立膝をついて座っていたせいか、血液の流れが止まっているのだと感じていた。しかし、日を追うごとにその痺れは強くなった。最初はヘルニアを発症したのかと思い、接骨院に通うようになったが、ある朝、珠子はとうとう歩けなくなった。体を起こそうにも起きない。珠子は仕方なく、救急車を呼ぶ事にした。

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