小説

『アプリ越しの愛』星野梨音(『痴人の愛』)

「しーっ、今度は単位落とされちゃうかもよ。」
 私は、芽生が鈴木くんに「いいね」を送らなかったことに安堵しつつ、授業がおわると用事があるふりをして友人達と別れ、さっそくアプリを入れました。鈴木くんの家がどこか知りませんが、彼が三キロメートル圏内を出てしまわぬ間に、彼とマッチしなければなりません。私は、自分が高校生のときにとった真面目くさった顔写真を使うことにしました。私は大学に入学する前に一日十時間化粧を研究し、今ではずいぶんと別人のように変身することができます。化粧をしてない私を見れば、たとえ毎日私と授業を受けている友人達もそれが私だとは思いもよらないでしょう。また、私が昔の写真を使ったのにはもう一つ訳がありました。鈴木くんの雰囲気に少しでも似せることで、警戒心を解くことです。

「こんにちは、マッチありがとうございます。怜央です。」
 鈴木君は鈴木怜央といい、彼は下の名前を登録していたようです。
「美香です。写真かっこいいですね。」
「どうも。」
「よろしくお願いします。怜央さんは大学生ですか?」
「はい。」
「ご趣味は?」
 私は、鈴木くんに失礼になることがないようにと必要以上に堅苦しくなっていました。友人相手なら、絶対に「ご趣味は?」などとは言いません。
「パオラバですね。」
 鈴木くんの返事は予想通りといいますか、極めて無難なものでした。私も、名前くらい聞いたことがあります。しかし私は、大学生になってからというもの皆と同じことをしたくないという思いから、パオラバにあまり詳しくありませんでした。
 私は、部屋に籠もり必死にパオラバの研究をしました。SNSを眺めていた時間を、パオラバに注ぎ込むだけでかなりの時間が生まれます。しかし、調べても調べてもパオラバについて確固たることは分かりません。私は、図書館で「パオラバの表象」「パオラバの実存とイメージ」という本を借りてきて、読むことにしました。分厚く、仰々しい本でした。何を書いてあるのかさっぱりわかりません。日本語のようでいてまるで日本語でないような、文章であって文章でないような変わった文面です。それでも、鈴木くんとの話の糸口になると思うと、苦労も苦労ではありません。
「私もパオラバ好きなんですよ。」私は、そう返信しました。
「そう、じゃあパオラバの夢はどこら辺にあると思われますか?」
 パオラバの夢について考えるなど、鈴木くんはどこまでその趣味を深めているのでしょうか。私は、自分の無知さが露呈するのを危惧しました。
「あなたはどう思うんですか?」
「僕は、正反対の場所にあると思います。」
「そうなんですね。」
 なんとかそう答えましたが、返事はありません。私は逆に質問をすることにしました。
「それって、どんな場所だと怜央さんは考えておられるんですか?」
「僕にもまだ分かりませんが、多分ありふれた場所にある気がします。」
 私は、特にコメントしたいこともなかったので、「いい考えですね。」と返信しました。

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