小説

『夢みてえな一錠があんだけどよ』田中慧(『スピードのでる薬、怪盗紳士ルパン』)

 アニキがニヤつくのはベイビーちゃんのことを考えてる時だけだと思ってたから、俺は心底驚いたよ。そうだ。あのアニキの腰元にいる女だ。くそったれにデブで、やけに音がデカい。
 アニキは俺とその知らねえ男を交互に紹介した。
 知らねえ男の名は、ウェルズって言うらしかった。
 よくよく聞けば、イギリスの野郎らしい。
 アメリカもイギリスも変わりゃあしねえだろって言おうとしたんだが、どうやらアニキはそのウェルズって男のことを相当信頼してるみたいで、どうにも軽口を叩く雰囲気じゃあなかった。
 アニキはその、やけに不気味なニヤけ面を顔面に張り付けたまま俺にある薬を渡してきた。 
 それが、今お前の飲んだ薬ってわけだ。
 何も言わねえ二人に対して俺が戸惑っていると、アニキは俺を急かすためか、自分とウェルズの分の薬も取り出した。
 どうやら、同時に飲もうって魂胆だろうなってのが分かったから、俺はアニキたちが薬を飲むのに合わせて飲んだ。
 最初は驚いたぜ。なんせ、何も起きやしねえからな。
 目に見えるもの全てが赤くなったり、人間だけがぬいぐるみになったり、今までそんなわけ分からねえ薬も飲まされてきた俺だからこそ、驚いたんだ。
 それに、この間もアニキはくずにもならねえ代物摑まされて、事務所の壁に風穴開けまくってやがったから、流石に用心してるだろうと思ってたのもあったんだ。
 このウェルズって男、今すぐにでもぶっ殺されちまうだろうなと思った。二日と二時間四十分ぶりにベイビーちゃんの出番が来るはずだったんだ。
 俺は思わず耳を塞ぐところだったよ。
 それでもアニキはヘラヘラ笑ってやがった。
 そのウェルズって男も一緒になってヘラヘラ笑ってやがんだ。知らねえ英語をベラベラと捲し立てながらな。どうだ? ウケるだろ。ヘラヘラとベラベラ。擬音ってやつだ。知ってるか?
 アニキは英語が分かってんのかなんなのか、ウェルズにハイタッチを求めてな。
 流石に俺もこんがらがっちまったよ。
 ハイタッチしてから、ベイビーちゃんのお出ましかな。
 アニキ、一人時間差でも覚えやがったのかって。
 でも、ベイビーちゃんはぶっとい体をホルスターの中に隠したまま動こうとはしなかったんだ。
 そのあとアニキとウェルズは俺を外に連れ出したんだ。

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