小説

『洗濯とワイシャツと鬼』黒岩佑理(『桃太郎』)

ツギクルバナー

 たまの休日に早起きして、百瀬太郎は洗濯機の前にいた。なんせ、彼の趣味は洗濯だ。しかし彼は洗濯する暇もないほど、日々仕事に追われている。最近は本気で「毎日、洗濯できる」ぐらい時間的余裕のある仕事に転職しようかと考えている。
 白物と色物を分けるのは、当然のこと。型崩れし易い衣類を洗濯ネットに入れたり、煩雑な作業も厭わない。それだけ手間をかけた分、洗濯物は綺麗でピカピカになる。それを眺めていると、彼は日々のストレスを忘れられる。
 衣類の洗濯は、百瀬にとって「心の洗濯」でもあるわけだ。

 その日もウキウキ顔で百瀬はまず水栓を緩めた。そして、洗濯機の電源を入れる。手際良く洗濯物を中に放り込む。その上に洗剤を振りかけて、スイッチを押す・・おっと、一つ行程を忘れていた。昨夜も終電帰りで、頭がまだまわっていなかった。すぐに百瀬は洗濯機の左横にある投入口に柔軟剤を注ぐ。
 「これがあると、ないとじゃ、すすぎの後の仕上がり具合がまったく違うからな。柔軟剤を考えた人は天才だよ」
 鼻歌交じりに一人ごちる。
 それから意気揚々と蓋を閉めて、右横のスタートボタンを押した。放水される音とともに、モーターが駆動しはじめ、洗濯機が華麗に踊りだす・・はずだったが、なぜだかピクリとも反応しない。
 一点の曇りもない、静寂。洗面所横の風呂場の開いた小窓から、蝉の鳴く声が響いてくる。
 百瀬は再び、スタートボタンを押した。先ほどよりも力強く。・・やはり無反応。
 「故障か・・」
 洗濯機の後ろにまわりこんでみる。コードが外れているわけではない。百瀬は大きなため息を吐いた。この夏、彼は散財を繰り返した。夏のボーナスは秋を前に使い切ってしまった。金のかかる白物家電など、もっとも買い控えたい商品だ。
 この状況に苛々した百瀬は、スタートボタンを連打しはじめた。
 「動け、動け、動け!」
 すると一瞬、洗濯機の内部からガタッという音がした。直後にモーターが駆動しはじめた。百瀬がホッと一安心したのも束の間、ボギャアアアーン! という激しい爆発音がした。百瀬は驚き、その場にぺたんと尻をついた。そのとき、洗濯機の後ろからモクモクと黒煙が立ちこめてきた。慌てて腰を上げた百瀬は、風呂場の残り湯をバケツに汲んで、洗濯機にぶちまけた。無事鎮火に成功したが、ずぶ濡れになった洗濯機は完全に死んでしまった。
 「もう、おしまいだ」

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