小説

『生贄は不要』広都悠里(『みにくいあひるの子』)

「亜里沙が倉田さんに何かした?」
 答えられない。
「虐めたくなったから虐めたの」
 あたしは生贄にふさわしい子を選んだだけだ。
「最低だね」
「最低よ」
 そんなこと、言われなくてもわかっている。あたしは最低、家族からも愛されない。そんな子を誰も好きになんかならない。
「それで倉田さんは、楽しいの?」
「そんなことを聞いてどうするの?あたしにあやまって欲しいわけ?あやまれば気が済むの?」
「おまえって本当に可哀想なやつだな」
 怒鳴られた方がまだましだ。憐れむような黒々とした瞳から目をそらす。彼の言うことは正しい。でも、負けない。折れない。だってそれがあたしだから。 
 不意に強く抱きしめられてあたしの機能は全停止。まばたきもできない。頭の上からそっと低い声でささやく。
「何で?誰かをわざと傷つけるなんてすごく苦しくてしんどいのに。どうしてわざわざそんなことをするの?」
 はじかれたように力を込めて突き飛ばす。
「やめて」
「ごめん」
「なんであやまるの。あやまるのは」
 あたしの方でしょう?あたしはあなたを傷つけようとした、中村優亜や香菜絵に生贄の印をつけた。うんとたくさんみんなを傷つけた。
「だって、泣いているから……」
 目の辺りをあわてて手の甲でぬぐうと、濡れていた。え、涙?なんで涙なんか。あたしは人前で泣いたりしない。思うそばから瞼が熱くなり、膨れ上がってくる涙をあわてて押さえこもうと指で押さえると、どんどん泣けてきて止まらなくなった。
「こんなの、うそ泣きだもん!」
「もっと泣け!倉田遥香」
 その声が力強く暖かいことに戸惑いながらあたしは力が抜けていく。へたりこんだあたしの鼻先にしわくちゃのポケットティッシュが差し出された。
「亜里沙、まんが家デビュー決まった。学校に行けなくなってから家でひたすら描いてたから」 
きょとんとした。
「倉田が最初にほめてくれたんだよな、すごい、才能ある、って」
 でもあれはもちあげてから突き落とす、より大きなダメージを与えるために言ったことだったのに。
「ほめてくれて、でもここもうちょっとこうしたらいいんじゃないとかこれつまんないよとかけっこう正直に言ってくれてたってこの間、話してた。本当に仲良かったこともあったんだよねって」
「やめて」
 あんなの全部嘘だもの。嘘の言葉、嘘の表情、嘘の笑顔、全部全部嘘だから。
「どうしても誰かを虐めたいなら、オレにしておけば?オレ、けっこう丈夫だよ」
 いつもこのひとはあたしを驚かせる。
「ばっかじゃないの」
 もうあたしの世界に生贄は不要なのかもしれない。
 何もわかっていない父親とこわがる母親と避ける妹と正体分かっているから遠巻きにしているクラスメイトしかいない世界はずいぶんつまらない。ってそうか、その世界を作ったのはあたしか。ちっぽけでつまらないあたしの世界。はやく出て行きたい。壊したい。より遠くへ行くための大きくて丈夫な翼があればいいのに。どうすれば手に入るの。

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