小説

『生贄は不要』広都悠里(『みにくいあひるの子』)

「それ、癖ですか?人を指すなんて失礼じゃない」
 あっはっは、笑うからよけいに腹が立つ。
「面白いなあ」
「面白くないです」
「オレに何か用?」
「全然」
 猛然と歩き出す。胸がぐるぐると熱い。いつもあたしはかき回す側だった。ぐるぐるかきまぜて必死になっている相手を見るのは面白かった。なのにかき回されるなんて、許せない。
 すぐに三年二組の下駄箱を見張って、あいつが町田翔と調べがついた。とりたてて目立つところも噂にのぼることもない、大勢の中の一人だ。でもあれからあたしは学校の風景の中から町田翔をすぐに見つけることができるようになった。
さあ、どうしてくれよう。久々にわきおこる緊張感、のめりこむように彼のことを考える。うんと傷つけてやりたい。クラスも学年も違うけど、あたしにできないわけがない。
 三年は夏期講習があるから夏休みでも会うことができる。すれ違う時にわかる程度の黙礼、相手が応えてくれるようになったら声に出して「おはようございます」と小さく言ってみる。少しずつ会話が増えて名前を教えあってラインで連絡「おはよう」とか「今日のテスト最悪」「がんばって」なんてやりとりを重ねてそこそこいい感じになったら「付き合って下さい」と言って受験直前になったら「受験の邪魔になるのは嫌だから別れましょう」と言うつもりだった。断られても傷心ぶりを見せつけて良心の呵責というダメージを与えてさてそれからどうしよう。男なんて女より単純で簡単だ。最初にで会った感じた鋭さも言葉を交わすうちに感じなくなっていた。ほらね。みんな思い通りだ。
「付き合ってなんてよく心にもないことを平気で言うね」
 甘く見ていたあたしにまさかのしっぺ返し。
「そんなこと」 
 何かを見透かすような冷たい目にどきりとした。この目。最初に会った時に感じた鋭さ、どうして忘れていたんだろう。油断していた。
「ひどい」
 否定するためにはここで涙の一粒でも流しておかなければ、とこめかみのあたりに力をいれた。
「中村亜里沙ってオレのいとこなんだ」
「え」
 人は驚くと何もかもぱかりとあいてしまうらしい。頭の中までぽかんとからっぽになった。
「母親どうしが姉妹で名字が違うけどね。もっともオレの名字が中村だったらきみはすぐに気がついただろうけど」
「何が目的?」
「目的?別に。ただ倉田遥香がどんなやつかと思ってさ。普通の可哀想な子だったけどね」
 可哀想?
 あんたに何がわかるって言うのよ!のどが乾いてひりついたみたいになって声も出ない。
今まで教師相手にやってきたように涙の一滴や二滴、絞り出すのはたやすいことだ。彼女とは友達だったのにささいなことで、すれ違いになった。誤解をとこうとしたが無理だった。他の人たちにいじめられているのを見て助けてあげたかったけど怖くてできなかった、今でも勇気のなかった自分のことを悔やんでいる、同じ失敗を繰り返すのが怖いから仲のいい人を作らないのだ、という物語を感情たっぷりに語り、両手で顔を覆うと、真実なのか演技なのか自分でもわからなくなった。 わからなくてもかまわない。先生たちに「不器用な誤解されている気にかけてあげなくてはならない生徒」と思われればそれでいい。そうやって今まで乗り切ってきた。でも、彼はもう見抜いている。こんなの、予定にない。

1 2 3 4 5 6