「中沢、ちゃんと働いてるかな」
「どうだろうな。青森は遠いよな」
中沢はなぜか漁師になった。高校で生態学みたいなものを学んで決めたらしい。青森に叔父さんがいるからと、あっさり行ってしまった。中学の時から、「俺は絶対、何があっても、サラリーマンにはならない」と断言していた中沢らしくていいのかもしれない。
私たちもそんなふうに単純に動けたらどんなに楽だろう。でも中沢もあれで意外と考えている男だからな、悩んでいないわけないか。
赤瀬は窓側の前から三番目の席に座った。机の高さと身長が合っていなくて窮屈そうだ。でもかつてはそこに座っていた、私も一緒に。
すっ。赤瀬が私を見る。教壇から見渡す夜の教室にひとり、赤瀬が座っている。私を見つめている。
「なに……?」
「……いや、なにも?」
赤瀬はとぼけたようにそう言いながらも、私から視線をそらさなかった。そらしそこねた私も、まともに見つめ返してしまう。黒目の色素、さっきより濃くなった気がする。
「こうして二十歳になっても俺と潮倉がここにいる。こうしてお互いを見てる。…コレってなんだ?」
それは、私も思っていた。あの頃の私は、こんなこと想像しただろうか。二十歳になっても赤瀬と教室に? そんな日が来るって、少しでも考えた?
どうしよう。急にわからなくなる。赤瀬に何か言いたい。大切なことを言わなきゃ。
あの時からずっと、今までずっと、今この瞬間も頭にあって、だけど口に出して言っていないことを。
「昔考えてたのと、同じ景色だ」
ぐるぐる思考を巡らせ、迷う私に、彼は言葉を重ねる。
「……え?」
「俺は見たことあるよ、こういう未来」
ねえ、どうしてあなたはそんなに私の心の中枢を、無断で手探るの。
悪意が身体から消えていくのを味わう。このままその黒い瞳に吸い込まれてもかまわない、私の左胸が言った。
赤瀬の視線からなんとか逃れ、私は自分のものとは思えない動きをしている賑やかな心臓に集中しながら、教壇を下りた。
あんなに、中二の夏休み明け初日から、いくつも思わせぶりな態度をして、そうしてほとんど両想いに漕ぎつけても、赤瀬は一度も私に「好き」と言わなかった。
「パートナー」とか「最高の女子」とか、似たようなことは何度か聞いたけど、それは同じ生徒会の仲間としていろんな意味にとれることだったし、もちろん嬉しかったけど、私の想いを勝手に膨らませた割には、飛ばさないままの状態だった。
だから私も、赤瀬に「好き」と言ったことは一度もない。
高校に行って離れてから、赤瀬のことしか考えられない時期もあった。そして大学生になってから思うのは、「愛」とかそんな重いものはいらないから、お互いの痛みを受け止められるような関係になりたい、ということだった。
今の赤瀬のことを、私は何も知らない。彼女だって、いるかもしれない。そうしたら、浮気になる? いや、そういうことじゃなくて、肩書なんてものはいらないから、私は赤瀬を助けたい。そして赤瀬に助けてほしい。お互いに「おまえしかいない」って思えるような、根拠もなく信じ合っているような、そんな関係になりたい。戻りたい。