「え、何で知ってるの? 別に来なくていいからね。」由美の冷たい視線が突き刺さる。
「いや、母さんに行くようにって言われてるんだ。もう会社にも早退するって言ってあるし。」
「勝手にすれば。」面倒くさそうに由美が言う。きっと、「あなたには何の期待もしていませんけど、来ないでと言ったところでどうせお母さんに言われたとおりにするのでしょうから、どうぞご自由に。」とでも思っているのだろう。
「じゃあ、夕方、学校でな。」
答える代わりに由美は立ち上がり、自分の食器を片付け始めた。
会社を一時間早退して、和彦は由美の高校に来た。校庭では運動部と思しき生徒たちがランニングをしている。もう引退したが、由美はテニス部だった。部活を初めてすぐの頃、一度だけ試合を見に行ったことがあったが、由美は一セットも取れずに負けた。でも試合後の由美の顔は充実していた。「負けちゃったけど、一生懸命練習して、力を出し切れたよ。」と笑顔で言った。その言葉は当時の和彦を救ってくれた。ちょうど仕事が大変な時期で、とにかく結果を出せという上司のプレシャーに和彦は潰れかかっていた。あの由美の言葉がなかったら、今ごろどうなっていただろう。もちろん由美は父のそんな気持ちは知らないが。
和彦は玄関に入ると、来客用のスリッパを履いて三階の応接室へ向かった。扉を開けると、応接用のソファに制服姿の由美がぽつんと座っていた。ちらりと和彦を見ると、「ほんとに来たんだね。」とつぶやく。
和彦は軽く頷き、由美の隣に腰を下ろした。二人の間に気まずい沈黙が流れる。ああ、先生に由美のことを聞かれたら何と答えよう。そもそも由美は進路について学校にはどのように話しているのだろう。和彦は何も分からなかった。「学力は十分なのですが、父のせいでやりたいことができません。先生もこの父親を説得するのに力を貸してください。」などと言い出すのではないか。
そんなことを考えていると、職員室側の扉が開き、担任の教師と思しき女性が入ってきた。若く、はきはきとした印象だ。
「お待たせしました。」と彼女は机を挟んで向かいのソファに浅く腰掛けると、「由美さんの担任の川村です。お父様、今日はお忙しい中お越しいただき、ありがとうございます。いらっしゃることはお母様からお電話で伺っておりました。」と丁寧に頭を下げる。
そうだったのか。もしかして美奈子は、先生にも自分を説得するよう頼んだのではないのか。和彦はそんな気がしてきた。
しかし、川村先生の口から出たのは意外な言葉だった。
「時間もあまりありませんので、率直に申し上げますと、由美さんの今の成績では志望校に合格するのは・・・ほぼ無理です。」
机の上には最近の模擬試験の成績結果が広げられていた。第一志望の欄には由美が行きたがっている東京の大学名が印字されているが、第二、第三志望の欄は空欄だった。そして、この模擬試験によると、由美の第一志望校の合格率は五パーセントだそうだ。