僕は真っ暗の中にいた。
いや、目の前に白く四角い光があった。
そっと手を伸ばしそれに触れるとざらついた感触。そっと指を沿わすと凹凸の感覚が磨り硝子とわかった。
光る硝子の周囲を探ると手の感覚に独特の油の触感。木製の扉。触っただけでそれがそうだとわかった。
更に周囲を探ってその扉の取っ手を見つけ握り込む。
握って感じた。
取っ手を伝ってくる振動。それともに気づく周囲からの騒音。
ガタンゴトン、ガタンゴトン――。
レールのつなぎ目を車輪が乗り上げる度に上がる音。
そうか、僕は列車に乗っているのか。今それに気づいた。
握った取っ手を引き下げると引き戸だった扉は、底に付いた車輪が歪んだ縁をガラガラと音を立てて横へと開いた。
天井からの淡い暖かい光、白色灯の灯り。
柔らかい光源に照らされる車内は濃い木目の色が浮かび上がっていた。
向かい合わせになる座席、その座面は濃淡のある碧色。光沢の斑が古さを強調させる。
手を掛けようとした座面の頭部分の木目も人の垢で黒光りしていた。
各席の座面の頭に手を掛けながら真ん中の狭い通路を僕は進む。線路を走る騒音と振動があるにも関わらず、足裏から伝わる床板の軋む感触。
車内には誰一人いなかったが、その時代と懐かしさを感じる空間の雰囲気に僕は不安を覚えなかった。
――外界から聞こえる、遠く甲高い汽笛の音色。ピーー。
ああ、僕が乗っているのは汽車なのか? そう思った時だった。
誰もいないと思っていた進む先の座席に、こちらに背を向けて座っている人の頭が見えたのは。
座頭から覗かせる黒く丸い頭頂には巻き上がったつばが縁取る。山高帽に見えた脇からは長い髪の毛が。
何も不審に思わなかった僕はその人物へと歩み寄っていった。
そして座席の横まで来たとき、帽子を被ったその人物と覗き様に目が合う。
クリッとした黒目が大きい瞳。
そして潰れた黒く小さな鼻。その鼻を中心にあちこちに跳ねる白い髭が顔中を覆う。
山高帽を深々と被ってブラウンのトレンチコートに身を包む。