小説

『抜け小鈴』清水その字(古典落語『抜け雀』)

 美術室に女の子の幽霊が出る。学校という場所で、この手の噂はよくあることだ。今日もたまたまその話題が出たとき、それを直に見たことのある俺は黙って絵を描き続けていた。
 かしましい声で話す後輩たち曰く、出没するのは日没以降。美術室の倉庫の奥から現れ、ゆっくりと学校内を一回りして消えていく。その姿は赤い着物を来た女の子。正体は昔倉庫の片付けをしていた際、棚から落下した額縁に当たって死んだ生徒の地縛霊だとか。
 最後の以外は大体、本当のことだ。だが今喋っている後輩たちの中で、自分の目で見た奴はいないようだった。皆、「誰々が言ってたんだけど」とか、「噂では」とかいう言葉を頭につけている。もっとも、この手の噂話をするのは主にそういう連中だ。あれは幽霊ではないし、死んだ人間でもない。妖怪、と言えば正しいかもしれないが。

 ふと、倉庫の入り口を眺める。さすがにまだ出てくることはないが、あいつはあの奥にいるのだ。
「ねえ、先輩も気になります?」
 後輩の一人が話を振ってきた。
「いるかもな、くらいには思ってるけど。いたからって別に、祟りがあるわけじゃないだろ」
 本当のことを話しても信じないだろうし、第一面倒だ。適当に答えてスケッチを続ける。先ほどから鉛筆で描いている雀の絵は概ね完成しており、後は目を描けば出来上がりだ。だが喋りながら描いたせいで失敗した。完成の一歩手前で止めるつもりだったのに、うっかり瞳を完全に描き入れてしまったのだ。
 チュン、と鳴き声が聞こえた。慌てて、画用紙中の雀を手で押さえつける。神の中でもぞもぞと動く感触がして、冷や汗が背中を伝った。だが後輩は雀の声は聞こえただろうが、それがスケッチ帳から発せられたことに気付かなかったようだ。俺が幽霊話に興味なさそうだと判断したのか、こちらに背を向けてお喋りを続けた。
 ちゃんと部活をしろよ。言っても無駄なので、心の中だけで呟く。雀の絵を片手で押さえたまま、俺はもう片方の手で止まり木を描く作業に取り掛かった。



 やがて日が傾き、部活の時間が終わった。グラウンドでは野球部が練習を続けているが、美術室からは続々と部員が出て行く。特に理由もなく最後まで残っていた俺だが、ふとスケッチ帳を手に倉庫へ入った。

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