小説

『抜け小鈴』清水その字(古典落語『抜け雀』)

 電気をつけると、ゴタゴタとした部屋の全貌が露わになった。相変わらずキャンバスや額縁、卒業した先輩たちの作品が散乱している。幽霊の噂のせいか誰も片付けをしたがらないし、顧問は放任主義のため、いつもこの有様だ。かといって俺一人で片付けられる量でもない。
 隅の机には先代の部長が作った、鳥と魚が融合したような、よく分からないモニュメントが飾られている。それを脇へ避け、後ろに立てかけられた絵と対面した。

 彼女はちゃんとそこにいた。鉛筆で描かれたその姿は微動だにせず、額縁の中で微笑んでいた。長い髪を垂らし、鈴の柄があしらわれた着物を纏っている。いつも変わらない、綺麗な女の子の絵だ。
「こんにちは」
 挨拶をしてみても、絵が返事をすることはない。今日はまだ出歩く時間ではないようだ。額の中の画用紙は古びているが、デッサンは鮮明である。左下の隅に書かれた『青野』というサインもはっきりと読めた。
 背後を振り向いて、美術室に誰もいないのを確認する。そしてゆっくりと、自分のスケッチ帳を開いた。今日描いた雀は画用紙の中で、木の枝に止まってぼんやりとしている。だが少しすると、軽やかな鳴き声が聞こえてきた。次いでバタバタと羽音が聞こえ、宙に小さな物体が飛び上がる。
 画用紙の中に残ったのは小枝の絵だけだ。雀は狭い倉庫の中を跳ねるように飛び、甲高い声でさえずる。鉛筆画だったが、紙から抜けだせば本物の雀そのものだ。茶色い帽子をかぶったような頭に、ふわふわとした羽毛の可愛らしい小鳥だった。

 俺は昔から鳥の絵を描くのが好きだった。しかしいつの頃からか、描いた鳥がこんな風に紙から抜け出すようになった。しばらくすればまた紙の中へ戻って絵になるのだが、時折気まぐれに外へ出て行く。だからいつも尾羽や足の先を描かないようにしたり、目を描かずに済ませたり、わざと完成させないようにしているのだ。
 目の前にある女の子の絵も、同じ力を持った人が描いたらしい。以前たまたま遅くまで居残っていたとき、彼女が古びたキャンバスから抜け出すのを見た。目が合ったが、彼女は俺にペコリとお辞儀をするだけで、そのまま廊下へと出て行った。そして次の日にはまた、絵に戻っていた。
 俺の雀は部屋の中を飛び回っていたが、しばらくすると彼女の前に降りた。話しかけるかのように、絵に向かってしきりにさえずっている。
「やっぱり分かるのか、お前には」

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