小説

『そう願って、わたしも』小山ラム子(『継子の機織り(沖縄県)』)

『わたしってお母さんの本当の子どもじゃないのかなあ』
 姉がそんなことをぽつりと言ったのは、たしかわたしが小学四年生のときだ。だから一つ年上の姉は小学五年生で十一歳。つまり今から九年前のことだ。
 あのときわたしはなんて返したんだっけ。
『なんでそんな悲しいこと言うの』だとか『お母さんはちゃんとお姉ちゃんのこと好きだよ』だとか、そんなことを言った気がする。
 自分が言った言葉はあやふやだが、その後の姉の弱々しい笑顔と口にした言葉は覚えていた。
『茜はやさしいね』
 馬鹿な姉だと思った。こんなに簡単に騙されるなんて、と。いや、姉だけではない。その頃のわたしは、周りの子達、関わる大人、みんな馬鹿だと思っていた。わたしはうまくやれている。そう思っていた。
 それが崩れ始めたのは、あの三者面談があった日からだ。わたしが中学一年生。姉が中学二年生で、クラス替えをして担任の先生も変わったときだった。
「葵すごいのよ。素直なやさしい子ってほめられて。それが先生を感動させちゃうくらいでね」
 夕食の席で顔をほころばせながら父にそう報告した母の向かい側で、姉は照れくさそうに笑っていた。
 母の話によると、担任の先生は姉の勉強をよく見てくれていたらしい。
 姉は二年生に進級してから成績が急に伸びたのだが、それでも学年上位に入ったわたしよりかは下の順位だった。一学期の期末テストで、姉はその結果をうれしそうに母に報告していたけれど『でも茜のほうがすごいから』とすげなく返されてすぐにしょんぼりと肩を落としていた。
 しかしその先生はちがっていた。テストの結果はもとより、粘り強く勉強に取り組んでいた姉の姿勢をとてもほめたという。 苦手科目や難しい問題も諦めず基本に立ち返り何度も問題を解いていた、と。そんな姿に感動して自分もがんばろうと先生もすごく励まされたんだ、と。
 母の話を聞いた父もその場で姉をほめ、ますます姉は照れながらもはっきりとこう言っていた。
「わたしじゃなくて先生がすごいの。すっごく良い先生なの。だからわたしがんばれたんだ」
 わたしも誰かにほめられたときはそんな返事をしていた。『わたしがすごいんじゃないんです』『すごいのはみんなのほうだよ』『あなたがいるからがんばれたんだ』
 でも、姉の言葉は本物だった。
 それがとても憎らしかったのをよく覚えている。
 なんでこんなこと思い出したんだっけ。
 今現在に気持ちを戻しながら、手に取った本をぱらぱらとめくる。大学の授業で出された課題につかう資料である。日本の民話をテーマに自由にタイトルを決めることになっているので、とりあえず何冊か読んでから決めようと今日は市立図書館に来ていた。
 手に取ったのは『継子(ままこ)話』を題材とした各地の民話をまとめた本だ。授業でも扱ったので、『継子』が『血のつながりのない、生みの子でない子』というのも知っていた。

1 2 3 4 5