小説

『そう願って、わたしも』小山ラム子(『継子の機織り(沖縄県)』)

 だからこの『継子話』という背表紙を見て、姉が昔言った言葉を思い出してつい手に取ったのだろう。
 現在大学二年生になっている姉は実家を出て大学近くのアパートで一人暮らしをしているが、夏休みの今は実家に戻ってきている。
大学にいってから姉はきれいになった。友達にセンスの良い子がいて、熱心に姉の外見にアドバイスをしてくれているらしい。
 料理の腕もあがった。アルバイト先の飲食店で教えてもらっているらしい。
 大学の成績だっていい。得意科目を生かせる学部を選び、ゼミの教授にも気に入られてよく自分の研究にもつきあってもらっているらしい。
 これは姉本人から直接聞いた話ではなかった。母から聞いたものだ。今もきっと家で楽しくおしゃべりをしているだろう。
 そういえばあの先生は姉を『素直なやさしい子』なんて言っていたらしいけど、それは姉の言う通り先生が良い先生だったからだろう。
 姉は母を相手にしたときは頑固で負けず嫌いであった。母は気分によって言うことがころころと変わり、それを指摘する姉とはよく口喧嘩をしていた。
あんなの聞き流しておけばいいのに。波なんてすぐに去るのに。
 姉が口答えをする分、わたしは母の味方をした。
『お母さん、大丈夫? お姉ちゃん頑固だよね』
 そう言って心配そうな表情をつくるわたしに母はいつもこう返した。
『茜はやさしいね』
 わたしもそれに笑顔で返す。
『そんなことないよ。お母さんが好きなだけだよ』
 そして母は言っていた。
『葵は本当困った子ね』と。
 そんな母と姉が、今や仲良く話をしている。
 わたし達が幼い頃は、姉の言うことに耳を貸さなかった母であったが、担任の先生から信頼を得ている様子の姉を見たあの三者面談の日以来、段々と態度が変わっていった。
 姉の言葉に耳を傾けるようになり、一理あると思ったことは素直に聞くようになった。それでもやはり喧嘩に発展することもあり、トータルではわたしのほうが得をしていると思っていた。いや、そう思おうとしていた。
 でも、今はどうだろうか。
 母の言うことに反論せず、事なかれ主義でやってきたわたしは、母と喧嘩をしたことはないけれど腹を割って話したこともない。
 姉は怒られようが嫌われようが自分の言葉を話してきた。泣きながら。傷つきながら。
 そして今。ぶつかることはありながらも、母と楽しそうに話をしている姉。
 本のページをめくっていた手が止まった。
 沖縄県に伝わる継子話。『継子の機織り』。

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