小説

『Kids Are Alright』室市雅則(『花咲かじいさん』)

「これ描いて、持っていたら500円もらった」
 放課後、吉田くんはそう言って犬が描かれたノートの切れ端をみんなに披露した。
 そこには色鉛筆で茶と黒が混じった毛で真っ赤な舌を出した犬が描かれている。上手くは無いし、何犬か分からないし、愛嬌も無くて間抜けだ。
 僕も吉田くんもペット禁止の市営団地に住んでいるから、少なくとも自分で飼っている犬ではない。とにかくモデルはどうあれ、その画のおかげで幸運が舞い込んだらしい。
 小学二年生にとって500円は魅力大だ。僕も含めてクラスメイトは一斉にノートのページを一枚切って「描いてくれ」と吉田くんの席に列をなした。
 まるでアイドルのサイン会のようになり、吉田くんは人気者になった。正確には500円を得る僥倖に預かりたいだけだが、羨ましかった。
 しかし、僕はみんなを振り向かせるようなエピソードも特技も備えていないから、ひとまずクラスメイトと同じように並んで、その幸運のカケラだけでも頂戴したいと思った。
だが無常にも僕まで後二人という所で、吉田くんは手を止めた。
「疲れたから、今日は終わり」
 僕を含めた残りの三人はきょとん。
「明日、描けたら描くから」
 吉田くんはランドセルを背負って帰ってしまった。
 僕たち未獲得者たちはきょとんアゲイン。
 他のみんなは、これから幸運が舞い込むと浮かれているのに、僕たちは沈んでいる。
 僕と吉田くんは同じ団地に住んではいるけれど、棟は違うし、一緒に帰るほど親密では無いから、帰り道で描いて欲しいとお願いすることもできない。明日を待つしかない。
 僕の住むB棟に向かう途中、吉田くんが彼のお母さんと歩いているのが見えた。片手には棒アイスを持っていて、美味しそうに食べている。しかももう片方の手にはおもちゃセンター長島の紙袋をぶら下げている。アイスだけでなくおもちゃまでも得るとは、あの間抜けな犬のパワーはなんと凄いのだろう。

 今日はスイミングの日なので、家に帰るとお母さんが作ってくれたおにぎりを持ち、パンツを水着に履き替えて、迎えのバスでスイミングに向かった。スイミングのロッカーで着替えるのが面倒なので、この方法をとり、おにぎりは終わった後に、晩御飯までのつなぎとして帰りのバスで食べる。
 ビート板を使ってバタ足の練習をしてスイミングの時間は終わった。
 ロッカーに戻り、着替える時に気がついた。
 パンツを忘れた。
 水着に履き替えた時、パンツを脱ぎっぱなしのままにしてしまったのだ。この上にジャージを履くとびしょ濡れになる。
 仕方がない。

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