小説

『蚊』永佑輔(『蚤と蚊』)

「セルフレジを導入するので、アルバイト店員を一人削減する事になりました」
 オーナーは全アルバイトを集めて言ったけれど、その視線は明らかに山田だけを捉えていた。他のアルバイト達もオーナーの視線を追って、山田を凝視した。
 山田はてっきり自身は人気者だと、好かれているのだと、小鳥が肩に止まり、動物たちが後ろをついて来て、草花が歌う、そんな人間だと、そう思っていた。ところが彼らの視線によって、ようやく嫌われているという事に気づいた。
 バツの悪さがピークを迎え、山田はその場で辞めざるを得なくなった。実質クビ。大学の除籍に続いて二ヶ月連続、いや、先々月には恋人に三行半を突きつけられているので三ヶ月連続の憂き目ということになる。
 蝉時雨の帰り道、山田はガムを踏んだ。強烈な日差しによって粘着力を増したガムは、まるで足カセのよう。そこへ持って来て蚊、蚊、蚊。足の裏を気にしながら蚊を追い払う姿は、ハタから見れば不審者そのもの。
「あのぉ、何をなさってるんですか?」
 蚊の鳴くような声の先に、山田よりずっと覇気のない、と言うよりすこぶる生きる気力のなさそうな、と言うより生きているように見えない白装束の女が立っている。
「いやあ、蚊が多くて……アナタはお化け屋敷のスタッフか何かですか?」
「や、本物の幽霊です」
「さすがこの暑さ。病院に行った方がいいですよ、頭の。じゃ、失礼」
 この慇懃無礼こそ山田が嫌われた主因だ。
 すかさず山田の行く手を阻み、女幽霊は幽霊となった事情を聞いてくれと言わんばかりの秋波をビンビン送ったが、耳東風の山田。あべこべに山田の身の上話を聞くハメになってしまった。
「女性バイトがレジ泥棒の濡れ衣を着せられたんです。彼女をかばって俺がクビになりました。でもやっぱり彼女が真犯人だったんです。いつもこんな調子で、ついてない人生です」
 山田は目尻を拭ったが、涙なんて一滴も出ていない。話もウソなら泣きもウソ。けれどウソは会話のエッセンスだと思い込んでいる山田に、悪びれる様子はない。ましてや、自分が話したい事だけを話して人の話は聞かない、という事が嫌われ者の特徴だと気づくはずもない。
 作り話だろうと疑いつつ、女幽霊はとりあえずの同情を示した。世の中には社交辞令を真に受ける悪いクセを持った男がいるもので、山田は同情に味をしめ、そして提案する。
「俺は幽霊の存在なんて信じてません。だけど世の中には信じる人がいるもんで、幽霊を信じるような人はたいがい判断力が低いんです。そこでその人たちに対して……」

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