小説

『蚊』永佑輔(『蚤と蚊』)

 山田のプレゼンに圧倒された女幽霊は、口を挟む暇なく合点させられ、山田のために一肌脱ぐハメになった。と言ってセクシー女優になるわけではない。もちろん、お化け屋のキャストを演じるわけでもなく、オフィスワークをするわけでもなく、山田のアパートの前に立って「うらめしや」と発し、イメージ通りの日本型幽霊を演じるだけ。こいつが受けた暁には、投げ銭がチャリンとなるわけだ。受けなかったところで損はない。
 山田は女幽霊の足元に投げ銭ボックスと、そして『ホンモノの幽霊です』という立て看板を置く。ところがカタカナの『ン』が『ソ』になっているせいで、『ホソモノの幽霊です』になってしまっている。ちなみに山田は『シ』と『ツ』も書き分けられない。小さい『シ』の読み方なんて誰も分からないのに。
「ンがソになってしまっています。直した方がいいんじゃないでしょうか?」
 はじめこそ女幽霊は笑いを堪えていたが、「でしょうか?」でプッと吹き出した。
 これぞ嫌われ者といった具合に山田は都合の悪いツッコミを無視し、そして女幽霊を促す。
「あ、人が来た。試しにやってみてください。うらめしやを」
 『ン』と『ソ』に未練を残しつつ、女幽霊は通行人の前に次々と立ちはだかって、うらめしや、うらめしや、うらめしや……。やってみて分かったのは、年寄り以外は興味を示さないという事。
「日本人は年齢を重ねるごとに信仰心が増す。そういう研究結果があるそうです」
「それを研究したのは俺です。大学で。まさかアナタの耳にまで届いてるとは」
「そんな研究結果ありません。すべて私の口から出まかせですから」
 山田のウソはあっけなくバレたが、バレたところでどこ吹く風。
「メインユーザーにターゲットを絞るのはマーケティングの基本です」
 と素知らぬ顔で年寄りを連れて来た。
どうやら山田とのコミュニケーションは不可能らしい。女幽霊は渋々と年寄りの背後に立つ。
「うらめしや」
 すると、チャリン。うらめしや、チャリン。うらめしや、チャリン。の連続。
 山田は皮算用を始める。
「明日から物販もしましょう。飛ぶように売れて、あっという間に金持ちです。そしたら引っ越して、車も買って、あ、その前に教習所に通って……」
 山田の腕に蚊が止まり、チューと血を吸った。
 山田は腕を掻き掻き、
「んだよ、かいーな」
「蚊は怠け者が好きと言いますからね」
「初耳です。ああ、かいー、かいー」
「爪でバッテンをつけてみてください。かゆみはウソのように消えます」
「アナタは蚊に食われないんですね」
「幽霊ですから」

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