小説

『ダビ』ノリ・ケンゾウ(『地球図』太宰治)

 長崎の海からそう遠くない場所に位置する、我が高校の一室に、本校が部活動等で獲得した歴代のトロフィーがずらりと並んでいる。今年度もバレー部、ソフトボール部の活躍によりトロフィーが二つも増え、そのほかにも期待できる部を本校は多数抱えているため、まもなくこのショーケースも一杯になり、新たなトロフィーを収納することができなくなりそうだった。ショーケースの前で、雑巾片手にガラスを拭きながら、オサムが呟いた。
「そろそろ整理整頓した方がいいか……」
 オサムが本校に入職してから、すでに三十年もの月日が流れていた。本年度付けで、オサムは校長先生となっていた。
 校長先生がいったいどのような仕事をしているのか、オサムは校長先生になるまではまるで分からなかったが、なってみた今でも結局よく分からない。それではよく分からないまま仕事をしているのか、と批判されてしまうかもしれぬが、業務自体は滞りなく進められている。彼の言う分からない、とは担任も授業も受け持つことがなくなったことで、決まった時間に教室に行ったり、授業に出たりというような時間で定められた仕事がなくペースがつかめないという意味で、なんだかんだ校長としての仕事は少なくなかった。しかしこうしてふと空いた時間に何をしたらよいのか迷うことが多かった。だからそこまで急務ではない、整理整頓などに気が向くのである。
 トロフィーや盾の数々を見て、まずオサムが持った感想は、「えらく多いな」だった。オサムの校長として勤務する高校は私立で、小中高の一貫校だった。小中では学力の高い子や、比較的裕福な家庭の子らが入学する傾向があったが、高校からはスポーツ推薦などで優秀な選手を獲得するなどして、勉学とスポーツの文武両道の高校として認知されていた。しかし文武両道といえども、実態は生徒たちを適材適所に当てはめているだけで、生徒の大半は勉学ができるものはスポーツが苦手で、スポーツに秀でたものは勉学が苦手であった。例外的に文武両道を兼ね備えた優秀な生徒もいるが、ただ優秀であればよいというものでもない。だから得意なことがあれば熱心に打ち込んで極めるもよし、苦手なことに挑戦したいものがいるのであればそれもまたよし、何もしたくなければしなくてもよい。まさか式典のスピーチなどで、何もしなくてよい、とまでは言えないのだが、心の内ではそう思っていた。
 そんなことだから、沢山のトロフィーを見てみても、オサムはそれを誇らしく思ったりはしなかった。これまで本校が残してきた素晴らしい成績は、すべて選手たち、指導者たちの努力の賜物であり、それは間違っても校長の手柄ではない。しかしそれぞれきっと選手たちの思い入れがあるとなれば、何から片付ければよいか。オサムは迷っていた。とはいえ片付けるといってもどこかに捨てるわけでもない。置いておくスペースがある場所を探して保管しておくだけだ。そう思い直して、オサムは単純に、年代の古い順からトロフィーや盾を片付けて移動することにした。

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