小説

『ダビ』ノリ・ケンゾウ(『地球図』太宰治)

 オフェンスチームのパスが何本か回り、ダビにパスが送られる。マークにつくオサムが、ダビが触る前にインターセプトしてしまおうとスピードを上げ、ダビと体を入れ替えようとしたが、気づいたときにはすでにボールとダビが目の前から消えてしまっている。慌てて後ろを振り返るとダビがシュートを打つ瞬間だった。右足で振りぬかれたシュートが、ゴールの左隅に突き刺さる。ほんの一瞬の出来事だった。ダビが一流の選手であることは、そのたったワンプレーで部員全員に証明されたのである。
 オサムの三年生最後の選手権大会。ダビという強力な助っ人を獲得した本校サッカー部は破竹の勢いで勝ち上がった。県内の強豪校との試合でも、ナカハラ君やカワバタ君でもダビを前にしては子供のようだった。ダビは人見知りで、ほとんど笑顔を見せなかったが、サッカー部の面々とは少しずつ打ち解けていたようで、「神様仏様ダビ様」と皆に言われるなどして親しまれていた。キリシタンのダビが、ゴール決めると十字を切るポーズをするのが部員たちの間で流行になった。ダビはその姿を見て、彼らがキリシタンになったのか、と本気で勘違いしたりもした。それから全国大会でも、ダビの活躍は留まることを知らない。準々決勝や準決勝ではさすがに苦戦したが、ダビのギアがもう一段階上がり、勝利した。このときのことをオサムは思い返すとき、ダビはそれでもまだ本気ではなかったのではないか、と述懐する。ダビにはまだ余力があるようにオサムの目には映っていた。
 いよいよ決勝戦の日を迎えたとき、ダビは試合直前になっても一向に現れなかった。選手たちは大変に焦ったが、慌てふためいたところでダビはやってこなかった。ダビのいないチームは、決勝で大量失点を喫し、大敗した。部員たちは試合をすっぽかしたダビに怒ることはしなかった。夢から醒めたような心地で、ただ自分たちの無力さを思い知っただけだった。
 ダビがどうして決勝戦に来なかったのか。色々な憶測が流れたが、真相は一つだった。ダビの祖母、つまり、ダビの母親の母親が、決勝戦の前日に危篤状態に陥った。フミと一緒に病室にやってきたダビは、憔悴しきる母の横で、同じように憔悴しきってしまった。翌朝、祖母が亡くなる。死ぬ前に何度か見舞いに行ったとき、祖母はダビを見て、にこにこと笑顔を見せた。プロのサッカー選手なのだと聞いたときには大変に喜んでいるようだった。病室から二人が帰っていくときには、ごめんね、ごめんね、と涙ながらに母とダビに交互に謝った。通夜に葬式を終え、家に戻ると、自宅の前に以前まで所属していたプロサッカーチームのマネージャーが立っていて、ダビを連れ戻しにやってきたと二人に声をかける。その後のダビの活躍は、皆がよく知っている通りである。

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