小説

『GUM』松野志部彦(『貨幣』)

 私は一介のしがない梅ガムです。恐らく、皆さんも私達と一度、お目にかかったことがあるかと思います。私はかつて、五枚入り九十八円で売られていた安物のガムなのでございます。

 私の最も古い記憶は、包装紙の暗闇の中から始まります。大手菓子メーカーの工場で生を受けた瞬間から、私はこの暗闇に包まれておりました。仲間もいましたから心細くはなく、今にして思えば、あの頃が一番平穏な時期だったようにも思われます。プロポーションも細長く、薄く、スラリとしており、なおかつ甘い香りと味に身を染めた私は、紛うことなき可憐な一枚の梅ガムでした。
 今の私はといえば、路傍に吐き捨てられた哀れなぐしゅぐしゅの塊。
 除去されるわけでもなく、成仏も叶わないままに、ただひっそりと公園の排水溝の脇に張りついております。
 そう、私は捨てられたのです。
 ある殿方からご寵愛を頂いたにも関わらず、味がしなくなるなり、たやすく吐き捨てられてしまったのです。かといって、なにも怨嗟の言葉を並べるつもりはございません。ただ、少しの間だけでも、自分の過去を誰かに聞いて頂きたいのです。

 工場から出荷され、行き着いたコンビニでひっそり出番を待っていた頃、私は同じ寝床の仲間から恐ろしいお話を聞かされました。
 私達は決して飲みこまれず、他のお菓子のように人間のお腹の中で成仏する事は叶わぬ身だというのです。私はにわかに信じられませんでした。こんなにも瑞々しい香りと味を備える私達が、なぜ食されないのでしょう?
 その仲間は静かな声で続けました。
「俺達は一通り噛み砕かれ、味もしなくなった頃に、この銀紙に吐かれて息絶えるのさ」
「そんな」と別の仲間が呻きました。
「でもな、それはまだ理想的な死に方さ。現実はもっとひどい。世の中の人間のほとんどが、噛んだ後に路上へ吐いちまうんだ」
「その後はどうなるの」
 怖がりの仲間が尋ねます。彼は臆病な性格で、いつも他の仲間にからかわれている可哀想な子でした。
「業者に鉄の箸で突っつかれて廃棄されるか、蟻にたかられてお陀仏さ」
 また、誰かのうめき声が聞こえました。恐怖というのはいとも簡単に伝播するものなのです。
「嘘よ、そんなの」
 私は咄嗟に反論しました。ムキになっていたのかもしれません。

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