小説

『GUM』松野志部彦(『貨幣』)

「嘘じゃないさ。吐き捨てられたガムが多くて社会問題にまでなったことがあるくらいなんだぞ。知らないのか。俺達が納まってるこの箱の側面にゃ、ポイ捨て禁止の但し書きまであるんだぜ」
 私は途端に怖くなりました。
 誰かに食べられて、食べた人をほっこりと笑顔にしてあげる。それが私達お菓子の使命であり、至上の望みでもありましたから、私は自分が辿るかもしれないその残酷な運命を信じたくありませんでした。無邪気な子供を笑顔にし、お腹の中で安らかな眠りにつく。そんな夢を、それだけの夢を、私は見続けていたかったのです。

 間もなく、強い振動が私達の寝床を揺さぶりました。
 ついに私達の番が来たのです。
 陳列棚からレジに渡され、そのまま主のポケットへ納められたようでした。その間、私達は誰も口を利きませんでした。悲観的な仲間の話を聞いた後だったので、嬉しさよりも不安のほうが勝っていたのです。
 私達を購入した主は騒々しい駅の構内を駆け抜け、電車に飛び込みました。主はどうやら少年のようです。通学の途中なのかもしれません。子供に食されることを望む私達としては願ってもないことですが、主は子供というにはちょっと年齢を重ねているようで、ほとんど大人といっていい年頃の少年でした。
 封が切られたのは、その電車の中でのことです。
 現れた太い指が、一番上に納められていた仲間を抜き取っていきました。選ばれたのは、あの臆病な仲間でした。
「嫌だ。ぼく、怖いよ」
 彼は悲鳴を上げました。本来なら望むべき僥倖が、私には狂気の沙汰の如く感じられてなりませんでした。
「大丈夫、きっと良くしてくれるわ。あなたは、だって、おいしいもの」
 私は夢中に叫び返しましたが、それは自分自身に繰り返し唱え続けた言葉でもありました。
 やがて仲間の悲鳴が聞こえなくなると、残された私達は主のポケットの中でじっとしていました。ガタン、ガタン、と車輪の音だけが伝わってきます。
 長いようにも短いようにも思えた時間の後、主は駅のホームへ降りました。歩調のリズムは相変わらず速く、急いでいるように思われます。
 駅舎から出たところで、何かを吐き棄てるような吐息が聞こえた気がして、全員が戦慄しました。私はよき弟分だったあの臆病な仲間を憐れみ、声を殺して啜り泣きました。

 忙しない歩調がようやく落ち着いてくると、辺りは俄然騒がしくなりました。どこからか荘厳な鐘の音が響き渡り、話し声が波のように続きます。学校に着いたのです。

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10