小説

『GUM』松野志部彦(『貨幣』)

 今では誰のことも恨んでおりません。私を捨てた殿方、お菓子を没収した先生、それに桂木氏や増田女史のことだって、もうなんとも思えません。全てがどうでもよく、怨恨も感謝も抱けないのです。
 このまま私は、蟻さんに分解されるのでしょうか。
 それならそれで構わない。ここで無様にへばりついているよりかは、いっそ蟻さんの為の栄養になるほうが、よほど良い最期なのかもしれません。主に捨てられ続けた惨めな私にはうってつけの結末でしょう。
 ただ、許されるならば……。
 人の手で造り出された私は、最後、人の為になって生涯を終えたく願うのです。
 こんな場所で、こんな不快なゴミとして終わってしまうなんて、なんと淋しい事でしょう。
 私はどうやら、まだまだ人に未練を残しているようなのです。

 ……あら?
 何かが向こうから転がってきます。
 目を凝らすと、それは五百円硬貨でした。ころころと地面を転がり、それを小さな女の子が必死に追っています。ひらひら踊るピンクのスカートと、頭の上で揺れるリボンの、とても可愛らしいこと。まるで春の妖精が舞っているかのようです。
 もうすぐ追いつける、という所で、硬貨は水の涸れた排水溝へ落ちてしまいました。「あぁ」と眺めていた私も思わず嘆息しました。
 鉄網の上で、女の子は眉を寄せて排水溝を覗きこみ、しばらく懸命に指を突っ込んでいましたが、やがて途方に暮れて泣き出してしまいました。どうやら、硬貨は女の子のお小遣いか、あるいはお使いの為のお金だったようです。
 可哀想に……。
 私は胸を痛めましたが、ゴミである自分にできることは何もありません。堪えるように泣いている女の子を、ただ見守っているしかありませんでした。

 あの子が私を食べてくれていたら、どれだけ良かっただろう。
 きっと、笑顔になってくれたに違いないのに。

 そんなことを考えながら見つめていると、女の子がふと、涙を溜めた瞳で私を見つけました。
 数秒。
 哀しげに歪んでいた表情が閃いたように晴れ、彼女はきょろきょろと辺りを見回しました。そうして細い棒きれを見つけると、何を思ったのか、私の体へ先端を突き刺してくるではありませんか。
 あまりの出来事に私は戸惑いました。
「何? 何をするの?」
 そう尋ねましたが、もちろん、答えはありません。
 しかし、私もすぐに女の子の考えに気づきました。
 なるほど……、賢い子ね。
 予想通り、女の子が棒きれを排水溝の内部へ差し込みました。その先端にしがみつく私は、薄暗い底に硬貨が光っているのをすぐに発見しました。女の子は真剣な面持ちで棒きれを操り、私も金色に輝く硬貨を集中して見据えます。
 やがて排水溝の底へ到達し、私が自分よりも大きな硬貨を掴み取ると、女の子が「やった」と小さく快哉を叫びました。慎重に棒きれを戻し、私に張りついていた硬貨を取り上げて、にっこりと微笑みました。

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