置き去りにされた煉瓦塀の残骸を見つけて、男は重い腰を下ろした。夏草が風になびいて波のように辺りをうねる。
照りつける容赦ない日差しに拭っても汗が流れ落ちてくる。目の前に広がった空き地には建物の影ひとつなく、その代わり見渡す限りに生い茂る背の高い草が続いている。
耳に届くのはただ草を揺らしていく風の音だけ。時間の流れとはどうしてこうも残酷なのだろうか。今はもう何もなく静かに佇むこの場所に、ほんの数十年前まで付けられていた名前を知る人などもはや誰もいないかのように。
それでも男だけは、かつて彼自身がこの地に残してきた名前のことを覚えていた。
『エバーランド』。
それはまだ若かりし頃、男が思い描いてきた夢の世界だった。
山際が迫る片田舎に生まれ育った男にとって、子どもの頃の遊び場といえば専ら原っぱや木立の奥にある茂みだった。
幼い頃、大樹の下で木陰に包まれるようにして眠った幸せな午後。まだ大人も発見してない未知の秘境を求めて藪の中を探検したことや、短く生えた柔らかい草の上を泥まみれになって転がったこと。
そうやって過ごした夏の草いきれの向こうに見えた空の色。幼い頃からそばにあった緑はいつも自分の遊び相手であり、慰めであり、冒険だった。
いつからか男は自分の大好きな『緑』をテーマにした遊園地を造ることを夢見るようになった。それは男自身の大切な世界、過ごした日々、幸せな思い出そのものを再現することでもあった。
男は身を粉にしてひたすらに働き、金を貯め、人脈を広げ協力者やスポンサー、資金提供もどうにか得て、そうして大人になってからしばらくが経ったある日、男はついにこの地に念願だった遊園地、『エバーランド』を造り上げた。
決して派手ではなかったが、イングリッシュガーデン、熱帯雨林エリア、他にも園内のあらゆるところにリアルな植物が使われたテーマも話題を呼び、ボタニカルブームも手伝って、開園当初にはたくさんの客が訪れた。
男は喜んだ。自分が過ごした子ども時代のように、緑に包まれるあの心地よさを訪れた人々にも知ってもらいたくて、男は毎日熱心に『エバーランド』に立ち続けた。
けれど世間の興味が移るのはあまりにも早いものである。ブームも去り、時間が経つにつれて目新しさもなくなり、客足は遠のき経営は苦しくなった。造花や作り物ではない、生の植物の管理には膨大な費用と手間もかかった。
時代に合わせて柔軟に対応し、緑だけにこだわらずもっと幅広いテーマを取り入れる、あるいは変えていくべきだとスタッフは主張した。しかし経営が悪化していくほど、男は自分の夢になおさら頑なになった。テーマを捨てるのは夢を諦めることにも等しかった。ホスピタリティをもってすれば客はきっと分かってくれる。このテーマに込めた信念や思いがいつかきっと広く伝わるはずだと、男はそう信じていた。