小説

『ウサギかカメか』水乃森涼(『うさぎとかめ』)

 片足は地面について、もう片方はペダルにかける。自転車の運転中に信号待ちをすると、誰しもこういうポーズになる。信号が青に変わると、制服姿の菜摘は自転車を発進させようとしたが、同じように制服を着た知らない女子が、同じような自転車で菜摘の横を鮮やかに走り去った。さっきからずっと信号待ちをしていたのに、結果的には知らない女子のだいぶ後方を走ることになった。
 こんなこと、生きていればどこかで調整されてトントンになりそうだけど、どう考えたって私は損をしている。さっきの信号待ちだって、逆の立場になったことがない。少なくとも、それを意識するようになってからは。ある時、思った。ウサギとカメみたいだなって。好きで止まった訳ではないけど、せっかくいいスタートを切ったのに、立ち止まっていたら後ろから来た勢いのあるカメに抜かれてしまう。
 ウサギとカメって何キロの距離で競争したんだろう?例えば3キロとしよう。そして、ウサギは2キロの地点で寝たことにする。カメは残り1キロだったから逃げ切れたのかもしれない。仮にこれがフルマラソンで、もっと長期戦になっていたら、ウサギにも再逆転のチャンスは充分あっただろう。
 私はウサギか、それともカメか?自分に問うてみても答えは出ない。さっきの女子にぐんぐん離されていて、追いつける気配はない。ウサギとカメのそれぞれの悪い所を兼ね備えてしまっている。今日もいくつもの信号に足止めされながら、家に着いた。

「小論文終わった?」
「もう少し」
 教室の中では、休み時間にそんな会話が繰り広げられている。話し相手のいない菜摘は、古文の教科書を読むフリをしながら、クラスメイトたちの会話に耳を欹(そばだ)てている。菜摘の高校では、毎年夏に小論文が課せられる。1年生だった昨年は、提出ギリギリに出した上に、『言葉づかいが幼く、加えて何を言いたいのかよく分かりません』と評されてしまった。確かに自分で読み返してみても酷かった。今頃机の奥深くに眠っていることだろう。
「えっ!?もう終わったの?」
 と周りの女子に驚かれているのは美紗樹だ。彼女はよくいるクラスの中心人物だ。頭もよく、運動もそこそこできて、性格もいい。そして見た目もいいのだから、自ずとそうなるだろう。自分と同じ高校に通っていることが信じられない。彼女は完全にウサギだ。しかも大事な時に寝たりしないウサギだ。同級生たちなんて置いて、どんどん先へと行ってしまう。今みたいにクラスメイトの会話を聞いている時に耳にしたのだけれど、大学生の彼氏がいるらしい。駄目なウサギとカメの自分なんかとは大違いだ。ありえない話だけど、もし美紗樹があの話みたいに勝負を挑んできたらどうしよう?きっと、戦わずに負けを認めてしまうだろうな。と言っても、何の勝負か分からないけど。分からないけど、彼女に勝るものがないことだけは確かだ。そう考えると、勝負を受けただけでもカメって偉いんだなあ。

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