小説

『草笛の庭』倉吉杜季(『おくのほそ道』)

 男の記憶の片隅に、いつもよく来てくれていた少年―─教えた草笛を喜んで吹いていたかつての少年の姿がおぼろげに思い浮かんだ。
「『エバーランド』がなくなった後も、また連れて行けと駄々をこねて、ずいぶんと父を困らせたものです。ここに来るのは、仕事で忙しかった父と遊んでもらえる限られた機会だったこともあって。平日帰ってくるのはいつも僕が眠った後、そんな生活を続けた無理がたたったんでしょうね。父はここが閉園してしばらくが経った頃、病に冒され亡くなってしまいました。僕には、父に連れてきてもらった『エバーランド』が、数少ない父との大切な思い出でもあるんです」
 男は言葉を失ったまま聞いていた。そう語る青年の横顔は少し寂しそうに見えた。
「閉園の日にも、僕はここに来たんです。僕はその時最後に、記念のエバリンの缶バッジをあなたから直接胸に付けてもらった。それは長い間ずっと、僕の宝物でもありました。その時あなたは僕に言ったんです。なくなっても、ここは夢の場所なんだと。この場所に『エバーランド』があったことを忘れないで、と」

 青年はふと立ち上がった。
「僕はあなたの意志を受け継ごうと思っています」
 青年が見つめる視線の先には、空き地いっぱいに生い茂る夏草が風になびいて波のように揺れている。
「僕はいつかこの土地をあなたから買って、ここに新しく遊園地を作ります。緑をテーマにした遊園地をね。今度は時代の流れを汲んで、新たな客層も取り入れる。巨大ガーデンからの脱出ゲームとか、VR熱帯雨林ツアーとか、四季の花畑をいつでも見られるプロジェクションマッピングとか。いつかそれが完成したら、まず誰よりも一番最初に園長を招待しますよ」
「はは、それは素敵だな。でもまるで夢みたいな話だ」
 笑った男を振り返って、青年は腕を広げてみせた。
「そうです、ここは夢の場所ですから。好きなだけ夢と空想を羽ばたかせていい。そうでしょう? かつて夢の国『エバーランド』で、あなたが僕にそう教えてくれた」

 青年の背後に広がる草原が、ふいにきらきらとまぶしく光っているように見えた。
 なんだ、そうか、と男は気付いた。ここにはまだあるじゃないか。
 誰からも忘れ去られ、何もかもを失った、草に埋もれただけの荒地だと思っていた。でも何も無いなんてことはない、ここにはちゃんとまだ残っていたのだ。
「ここには夢があるんです」
 かつて奏でた草笛の音色が溶けていき、青々とした草が揺れる。風に任せ、葉先をなびかせる様は光の飛沫を飛ばす草の海のようでもある。

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