小説

『草笛の庭』倉吉杜季(『おくのほそ道』)

「いるんです。ここにはまだ、僕たちが」

 青年がふいに足元を見つめた。しばらくじっと視線を落としていたが、やがてかがみこむと、足元から泥だらけになった何かを拾い上げた。
「それは?」
 青年はにっこり笑い、男にそれを手渡した。
 それは、長い間土に埋もれ、すっかり汚れて錆びちょろけてしまった、エバリンの缶バッジだった。
「……懐かしいな」
 閉園してからずっとこの場所に落ちていたのだろう。男は指先で丁寧にこびりついた泥を拭った。どんなに時間が経ち汚れていても、かつてこの地で立派にイメージキャラを務めたゆるい緑の妖精は、変わらずに缶バッジの中でポーズを決め、こちらに笑顔を向けている。
「園長」
 青年が男の前に立って向き直った。
「もう一度僕に、そのバッジを付けてもらえませんか。閉園最後の日に、そうやってくれたみたいに」

 男はようやく、重い腰を上げて立ち上がった。数十年の時を経て錆びついたピンを開き、想いを込めて青年の胸にもう一度缶バッジを付ける。
 その途端、エバリンが纏っていたツルと葉っぱがバッジの中からするすると伸び始めた。勢いは止まらず、バッジの外に飛び出してもツルはどこまでも伸び続けて、夏草生い茂る空き地の方へと向かっていく。伸びたツルは次々に枝分かれして草原の上を縦横無尽に走り、上へと盛り上がって密度を増し何かを形作っていく。
 ああ、と男は思わず感嘆の声を漏らした。そこに見えてきた景色は間違いなく、かつて自分が作り上げた夢の国であった。
 夏草に埋もれていた荒地の中、通路を挟んだ両側を真っすぐに煉瓦造りの植え込みが伸びていく。花壇からは溢れんばかりに四季の花が咲き乱れて、その向こうにはひときわ高い大きな入場ゲートがそびえている。
 門をくぐればピエール・ドゥ・ロンサールやアンジェラなどのクライミングローズとノウゼンカズラを組み込んだアーチが続き、その向こうには煉瓦ブロックにアイビーが下がるおしゃれなショップの店構えが並ぶ。
 通り抜けた先には『エバーランド』のシンボルでもあった彫刻を付した大きな噴水と、自慢だった美しいイングリッシュガーデンが広がっていた。
 鮮やかに、手に取るようにはっきりとイメージが蘇る。見えてきたものはただの幻想なのかもしれないし、かつての思い出から作り上げただけの世界なのかもしれない。
 それでも、ここは夢の場所であることが男には確かに分かったのだ。男が捧げてきた小さくとも大きな夢がここにはまだあったのだ。ここが『エバーランド』であることを今も覚えてくれている人がいたのだ。
 男はとても喜んだ。時を経てまたここに立つ、夏草に埋もれた原っぱで、夢だけはまだ今も、繋がっているように。

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