「宝がある」
半年ぶりに顔を見た親父は、すっかり細くなった頬を緩めていた。
元気な頃は、はんぺんのように柔らかそうな頬であったのに、今ではげっそりとして見る影がない。頬だけではなく、目は虚ろだったし、干からびた枯葉のような肌で、身体も縮んだようだった。骨まで達している末期癌で、もう長くないことは本人も知っている。
病室に入ってから、俺は変わり果てた親父を見下ろし、しばらく言葉が出なかった。
沈黙に耐えかねたのか、しゃがれた声で口にした言葉だった。窓の外から聞こえる蝉の音に消されそうなほど、微かだった。
「……なに」俺は聞き返す。
「宝だよ……」親父はさらに頬を緩ませた。「お前の弟にも伝えた」
それがどうした。どうせくだらない与太話だろう。
心で呟いたまま、閉口していると、病室の扉が開いた。
「あら、恭平君」眠たそうな顔をした中年の女性だった。
楓さん。俺の親父の後妻だ。親父より一〇歳は若いはずだが、親父の介護疲れなのか、白髪が目立ち、顔にもいくつか染みが増えていた。
「お邪魔しています、楓さん」
「武志にも来るように言ってあげてよ」楓さんは、義弟の名前を出しつつ、持っていたハンドバッグを親父のベッド脇に置いた。
親父のベッド周りに飾ってある花瓶にさしたチューリップやら千羽鶴やらは、楓さんが調達したものだろう。
「……武志とはしばらく会っていないもんで、楓さん」
親父は俺に目線を送って来て、首を軽く横に振った。先刻の話は、楓さんがいる前では喋らないということか。
父親と息子、男同士の秘密。
言葉が思い浮かんで鼻で嗤いそうになった。
「すまんな、楓」親父は楓さんに目線を送り、ぼそっと呟いた。
楓さんは柔らかく微笑んで、親父のベッド脇に座る。
俺は、しばらく楓さんと世間話をして部屋を出た。親父からは、それ以上『宝』の話を聞くことはできなかった。
その日の深夜、親父は死んだ。
***
親父が俺だけの親父じゃなくなったのは、小学一年生のときだった。
ある日、小学校から家に帰った俺は、畳の上にくの字で寝そべっている母を見つけた。ふざけているのかと思い近寄ってみると、母はむせび泣いていた。