小説

『出鱈目』広瀬厚氏(『平凡』)

 私は今年五十になる。あぁ…… いつの間にやら半世紀を生きてしまった。何だったんだろう? 私の半世紀。何かになれる、何かになれる、って子供時分からずっと思って生きてきた。きっと何かしらの天賦でもって立身出世する。まったく根拠のない自信をずっと胸の奥にたずさえ、今に、今に、今に見てろと生きてきて、気づいてみれば、今年で五十。
 あれでもない、これでもない。いろいろやった。ちょいとかじっては、「俺の天賦はここじゃない。他にある」。ろくに掘り下げもせず、たいした努力もなしに、すぐ他に目移りする。何かあるはず。いつか見つかる。きっと俺は、大器晩成さっ! て。
「あなた、ぼうっとしてないでゴミ捨ててきて」妻が私に言う。安月給取りで大きな顔の出来ない私は、「はーい」すぐ返す。「お父さん、なんか臭ーい」娘が眉をひそめる。「めんごめんご加齢臭かな? おっさんだから許してちょんまげ」娘に嫌われたくない私は、父親の威厳もへったくれもなく、しょうもなく巫山戯て返し、返って嫌われる。「ニャー」猫が私のはくズボンで爪を研ぐ。私は「おいおいニャンすけ、やめニャされ」…… 駄目だ。俺はもう駄目だ。五十になる。
 今は違うとおっしゃるけれど、昔の人は言っていた「人生五十年」。いつ死んでもおかしくない。そげな年と、私はなる。このまま駄目のまま今世塵灰と帰すのか。そんな事では来世生まれ変わろうと、またまたろくなもんじゃないに決まってる。どこまで行っても結局、何も出来ず、何にもなれず、そう思うと大変に剣呑だ。あと何年の人生か判然と解す事は出来ないけれど、わずかな骨を残し灰となる前に、何かしらやってみたい。命あるうちに、いったいこの私に何が出来る?
 実は、内緒の話だけれど、ここ何年か私は文筆をしている。大変いい加減ながら小説なんかも書いている。子供時分一番の苦手は作文だった。読書も嫌いだった。本を開いた途端、決まって眠たくなった。にもかかわらず突然何か書ける気がした。で、書いた。なかなか愉快となった。「もしや! これは… 」と、にんまりした。それからぼちぼちと続けている。けれども高校さえも出ていない無学無教養な私である。出鱈目千万である。まったくもってろくなもんじゃない。筋などない。起承転結しない。アイディア、なんて浮かばない。言いたい事、なんてとくにない。ただ書く。とりあえず書く。書く、書く、書く。兎に角書く。
 そこで半世紀の記念に今回何か書いてみようと思う。書くと言ったところで、先に述べたごとく出鱈目である。ならば題も「出鱈目」とする。出鱈目! 出鱈目に限る。出鱈目な者が出鱈目な筆で、出たら出たその目を書く。では本文に行く。

 天気の良い休日の午後私は散歩に出かけた。別にこれと言ったあてもなし。家におっても退屈だから、天気も良い事だし、運動不足解消に健康のためにと玄関を出た。と言うのはまったくの嘘で、何もせずに家におると何かと妻が仕事を申しつけるので、働くのが嫌いな私は、それから逃れるために家を出た。本当は部屋の中のんべんだらりと日を送りたかった。けれど、妻の「ちょっとあなたやる事なかったら…… 」の言葉を予感して、「ちょっと散歩してくる」と先を越した。
 とは言うものの外に出てみるとなかなか気持ちが良い。私はうんと伸びをして、それからのんびり気の向くままに歩き始めた。町内の橋本さんが向こうから歩いて来た。すれ違いざま互い軽く頭を下げ、「こんちくわ」と挨拶した。

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